前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

差別を知る実験授業

『特別授業 差別を知る 〜カナダ ある小学校の試み〜』
Radio-Canada/CBC 2006年作品

カナダ ケベック州のフランス語圏の小学校、小3の教室に身長134センチで高い子と低い子の2つ分けて人種の優劣のウソを教え、先生自ら授業中にえこひいき・なじりを浴びせて、子供たちもそれに倣っていく、教室に「差別」を作り出す様子を映す。2日間で差別する側とされる側、双方の体験をさせるために一日で優劣の基準は逆転させている。授業をはじめた担任の心境は勿論、授業後の子供たちの感想と親の感想もあり。実験後にデブの子がいじめられなくなった等々。収録した授業を上映して親に訊く集会は、一般的な親バカで要らない気がした。


人が選別されて特権をあたえられたり不当な待遇を受けた時に、争いと復讐を選択するのを人間の愚かな本能だけで片付けるのも微妙。子供のこころは純粋無垢ではないし、大人社会すら出来ていない人権尊重を簡単な事のように子供に望んでいる。酷い戦場の街でも、子供たちが無邪気に戦争ごっこをするのは、環境や洗脳だけのせいではないはず。


(NHK主催の教育番組の国際賞、2007年日本賞を受賞したこの番組の放送を先月視ていた。中途半端なこの程度の不満ではブログに感想を記す必要も感じられなかった。)


この実験授業の元になったのがアメリカ アイオワ州の小学校での特別授業のドキュメンタリー『分離された教室(1981年)』。これもBS放送枠でされたけど録画せず未見。
番組の書籍版『青い目茶色い目―人種差別と闘った教育の記録 (NHKワールドTVスペシャル)』を近隣の図書館で偶然見つけたので借りて読む。





おおよそ40年前の1968年キング牧師暗殺の年から始めた、アイオワ州ライスビルの小学校の教師が担任のクラスの小学校3年生の教室で、青い目と茶色い目の子に分けて優劣を決めつけ「差別」を体験させる実験授業。
黒人が居ない白人ばかりの町でひとりの女性担任が始めた小学3年生向け授業というのは、後のカナダ・ケベック州と同じ。


教え子が大人になって外の世界へ出た時に肌の色や人種で差別する人間にならないように、という特別授業の大きな理想は視聴者に共感を与えるとは思う。でも有色人種や黒人が受け続けている差別はそんなものじゃないだろう、という当たり前なツッコミも多いはず。依頼されて刑務所職員を対象に出張した大人向け差別実験の後にも、ひとりの黒人職員の控えめな主張が載っている。
多文化共生への高過ぎる理想と、足元をみられるよな現実の違いには立ち眩みする。


リアルに肌の違いを扱うには危険すぎるとは思うけど、白人の子供だけの教室で二つに分けるためにする青い目と茶色い目は分りづらいし、身長の差異も育ち盛りの中では微妙な子も多い。そこで劣等グループにはスカーフを首に巻かせたり赤ジャケットを着させる。アイオワ州での実験は最初の半年間でクラスの信用関係を作ってから「差別実験」をして、残りの半年で心の傷や経過を見届けアフターケアをするという一年のサイクル。その後、大人になった同窓会での先生とのやりとりも一応記されている。ひとり実験を続けた教師に当時テレビ放送後の反響が大きく、同じ教師からの嫌がらせや、黒人の居ない町で「黒んぼびいき」と呼ばれ他校の生徒達から子供への嫌がらせも起きたという。


個人的な体験で教師への偏見は強いけど(苦笑)、この無謀なふたつの実験のあれこれを非難する気にはなれない。あっという間に作られる集団心理の危険さと、褒めれば学力を伸ばして発揮するというシンプルな実例も見事に証明されているので。


カナダの番組のなかで一番気になったシーンは、実験から3週間後のインタビューで、授業中これは実験だと知ってたから動じなかった と言った子。その子は差別には関わらなかったけど、動揺して泣いていた友達にも種明かしはしなかった。前年度から続いての担任の先生だったので信頼の絆が違うという口ぶり。殺伐とした感情が渦巻く教室で、先生の実験を壊してはいけないという選択をしたらしい。


知識人は不正を傍観したまま事実を自慢の袋に閉じ込めて、自らは動かない。可愛らしくて困った例を視た。