前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

現実は練られたお笑いよりも腹を抱えて泣ける

今夜大飯原発が予定通り運転を開始したとニュース。
2週連続で金曜夜の首相官邸前で再稼働抗議行動に参加してる、仕事帰りに電車を乗り換えれば行ける事と、選挙権以外での意思表示として有効だと期待しているから。変えられることを期待するには参加しないと始まらない。愚民祭りだと冷笑する側には居たくない。


「〜反対」というスローガンは、抵抗があるし今も使いたくない。でも現地での不揃いで自然発生的な「再稼働反対!」の中にいると、むしろ前向きな意志が伝わる、仕事帰りで足が疲れてるにもかかわらず、段々と群衆の点になることでチカラを貰えて元気になっていく。実際、抗議行動が終わって近くの駅の入り口が混雑しているから、2時間位歩いて帰ろうかと思ったくらいに元気になってた。元々集団行動や同じスローガンを叫ぶなど生理的に嫌いな人間にもこんなに分かりやすい効果がある。


主催者発表の数は多すぎると思うけど、毎回2〜3倍以上に参加者が増えているのは確かだろう。これまでの警察官の方が目立つ様なデモとは規模が違っている。
これまでの反原発活動は国策に反対する要注意団体として、公安に盗聴されたり狭い世間では変った人扱いを受けていた。原発推進派にとって少数の反原発派は日本の科学技術を信じないカルト宗教にも見えたかもしれない、今は原発推進派が自爆テロを画策しているとしか思えないけどね。


何が悲しくて、自分たち素人が東京電力福島第一原発4号機核燃プールの熱暴走に怯えながら、3・11と変わらない日常をバカなふりをして暮らさなければいけないのか?引いて見れば見るほど呆れてくる。
21世紀の日本には未だ「縁起でもない」事は考えないことにしてやり過ごす伝統が続いてる。
国民を欺く話術すら欠けた政治と、頭の悪い広告代理店ことマスコミ、傍観者のポーズを決め込んでいる大衆。こんな手の込んだ設定の近未来小説はなかったし、自嘲ネタにしても軽くモンティ・パイソンを超えてる。新たなお笑いなど足元にも及ばない。