前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

金曜官邸前抗議 〜デモの声が政治を変える

金曜官邸前抗議 ---デモの声が政治を変える

金曜官邸前抗議 ---デモの声が政治を変える

2012年3月から始まった毎週金曜の首相官邸前抗議行動。「首都圏反原発運動 連合」のなかのひとが主観を自覚して書いている、新しい抗議行動の成長の記録。


以下はこちらの主観による金官デモに思うこと。
自分は参加者として何度か行っただけで、有志の方たちの交通整理は視ていて申し訳なかった。特定の団体が仕切らずに一般人が参加できる「原発再稼働を止めさせる」ワン・イシューは参加しやすい。自分が参加した頃は1万人に届く直前からだと思う、事故直後からずっとデモはあって時々参加してたけど、日本国内の大手マスコミが記者クラブ近くの官邸前での広がりを伝えなくともTwitterなどで毎週倍々に増えていた。記述にもあるように現場でのルールを守らない人達も目立つ様にもなった、参加者が多いとトラブルメーカーも出始めるものだと思う。昔ながらの市民運動家からすれば、官邸デモは生ぬるいのかもしれないけど、既存の運動家達の「反権力」な振る舞いが、これまで普通の市民には印象悪い原因だったりもする。現場に立たされてる警官に大声で攻撃的になったり、日の丸の国旗に毒を吐かれても、気に入らない隣人を売国奴・非国民と罵る自称右翼と表裏一体にしか見えないから、政治に物申すだけで嫌われる世間になっていると(単純化)。


日比谷公園で以前にイラク戦争に抗議する集会とデモ行進に参加したことがあるけど、後ろの集団の戦争反対コールが聴いていてつらくなって、コース途中で帰宅した。今回もまぁ耳元でホイッスル鳴らされたり、迷惑な隣人も居たけど、こちらからすぐ場所を移動したので。
福島原発の深刻な事故にも、収束宣言に原発再稼働を騙った政権への怒りで、やむなく抗議行動に出かけた人が多かったと思う。頭のわるい社会学者が参加者の動機を「承認欲求」と分析していたけど、自分は普段から腹が立つ程集団行動が嫌い、なんですが参加しましたよと。そういう葛藤を抱えて参加しているのに、ノーモアヒロシマみたいに「福島返せ」とかコールされるとガッカリする。まだ親戚が住んでるんですけど。


自分の理想としての抗議行動は、トラメガ無しのうるさくない行列に混じって官邸〜国会議事堂をゆっくり回って、留まらずに地下鉄駅〜帰る!だったけど、参加者が倍々で増えてきたのと、6月の終わり頃に人が溢れて結果道路を埋め尽くした画期的な週をピークにして、翌週からは警察の指定する交通ルートを細く厳守されて、前に進めないまま細い列に並んで小雨のなか外務省横で時間切れ。など残念な気分を味わされもした。それは50万人が集まったと報じられたオリンピック選手の凱旋パレードin銀座の交通整理と真逆で本当に腹が立つ。おそらくこのガッカリ感で一般の参加者は減っていったのかと思う。最盛期は仕事帰りのサラリーマンや、若者、子供連れをよく見掛けたので。
人が減ってきたのと同時に、高齢の参加者が多く目立っていった。国会議事堂の先頭近くまで楽に行ける様になると、ちょっと留まって8時の解散を待たずに早めに帰る様になった。最後は自転車で走ってもみた。車道からだと当然自由度は増すけど抗議行動の全体を感じるのは難しい。


大手マスコミがようやく伝える様になっても、参加者数は警察調べと主催者発表に10倍近い差があった。ヘリで空撮していて大規模な数なのは分かっても、個人的には20万人よりは少なかったかなと思う。野田元総理と抗議行動の代表数人が会見したのは、ひとつの区切りだったし、昔と違って時の総理大臣への信託も期待も希薄なもので、じゃあ抗議行動は一体なんのため?と問われると参加者の意見はバラバラだと思う。政権内にいる政治家が使う言語は、官僚用語に似てはじめから対話をする気など無い「低姿勢プレイ」なのだという再確認で終わった。
ワン・イシューで呼びかけて一斉に集まり継続させる、今回の新しい抗議行動はこれから先も試行錯誤しながら上手になっていくと思う。こんな自分の書き方は「おまかせ民主主義」の典型ですねと反省。


3/9日の台湾各地での反核抗議行動は約5万人が参加したと海外報道。同日東京では1万五千人とも伝えられた。では台湾に学ぼう。