前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

さらば丸刈り

シリーズこの国を見つめて 『さらば五部刈り オヤジの小言から』
BSハイビジョン放送分を録画で視る。地方の男子中学生は全員が坊主、五分刈りにされた時代。あれはいったい何だったのか、48歳のディレクターが1977年/昭和52年卒、当時の同級生たち・担任や校長に会って当時の話を訊く、今現在も中学生は全員丸刈りを続けている地方へ取材に行ったり。五分刈りスタイルの誕生から、強制の終焉まで追う。
過去を振り返ってもべつだん感傷的にはならない、イマドキ珍しくゆったりしたドキュメンタリー。


『五分刈り』の誕生は戦争体制が色濃くなった昭和16年、当局から翼賛型という髪型の発表から、学童男子は第三號(号)型総五分刈りと決められた。
やっぱそうか。地方の学校教育は戦後の気配を長く引き摺っていたんだな。地方の丸刈り因習が無くなったのは昭和の終わりから平成にかけて。新興住宅地ニュータウンの学校発、PTAからの異論が出て廃止へ勢いで動いて行った経緯など、当時の関係者のインタビューあり。


番組を視ながら、当時の学校で五分刈りを含めて理不尽な扱いを受けた事を数珠つなぎに思い出す。こちら側のワガママを反省しても、連帯責任だの協調性を強制させられた体験の重層は、今だに呪いが解けない。教師たちとのそんな微笑ましいエピソードを書くのは、読み手と書き手の健康を害する恐れがあるので自制スル。


このドキュメンタリーを制作した人は自分の育った町とかなり近い出身だった。駅は三つ先だし学年は5つ上だと思う。とはいえ地方のどこにでもあるような平凡な町。でも地元に暮す同級生たちの語りと、東京へ出て長く暮してる同級生の語りのスピードが大袈裟じゃなく三倍くらい違う。どっちもどっちだなぁ。