前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

吉田直哉が残したもの

文化の日NHKで放送された「テレビの可能性 吉田直哉が残したもの」録画を再度視る。
NHKテレビ創成期から活躍した名物ディレクターが亡くなった追悼番組というより、昭和から平成、20代から晩年までの作品を駆け足で紹介しながら、テレビの表現や番組で語りたかったことなどを旧知のゲストに訊ねていく90分だった。
紹介されている作品はどれも番組の作りが個性的で斬新。実験的な現代音楽は個人的に苦手だけど、武満徹と組んだ和のアニメーション「日本の文様」の映像は惹き込まれると同時に狂気も感じた。


文庫本に書かれた作品のコラム集を読む。どれも著者自身で要約済みな小気味良い文体。

発想の現場から―テレビ50年 25の符丁 (文春新書)

発想の現場から―テレビ50年 25の符丁 (文春新書)

昭和38年制作「魚住少尉命中」
戦争末期の人間魚雷回天の発射から命中までの60分を描いたテレビドラマ、レーダーをかいくぐるための長い潜航距離と時間、敵艦よりも敵の大型油槽船を優先して狙っていた事実を当時の証言者から聴いている。
2001年深夜に再放送され、当時より反響が大きかったという。


昭和41年大河ドラマ源義経
壇ノ浦の合戦で平家の女人達が入水自殺するシーンで、シンクロ選手に着物で飛び込んでもらい、袴に空気が入って浮いてしまう。水中から撮影する意図でのドタバタとか。


昭和53年NHK特集「アマゾンの大逆流・ポロロッカ
年に一度起こるアマゾンの大規模な逆流をヘリで撮影。映像で視ると危険なくらい低空で荒波に近づいて、本書でも地元パイロットのアラオー氏の凄腕を褒めている。残念ながら数年後に飛行中に撃墜され亡くなったとの事。


映像とは何だろうか ― テレビ制作者の挑戦 (岩波新書)

映像とは何だろうか ― テレビ制作者の挑戦 (岩波新書)

昭和32年テレビドキュメンタリー「日本の素顔」第一回「新興宗教をみる」取材先は創価学会だった。初対面で泥酔した二代会長戸田城聖氏とのやり取りにも驚く。著者であるディレクターもカメラマンも初心者だったので、酷い映像だったらしいけど、叱り飛ばす説法が少しうががい知れて面白い。「日本人と次郎長」は映像が残っている。
長崎の五島列島など「隠れキリシタン」で土着化した儀式、放送後に起きた島民の大本教への集団改宗など、見事に廃墟論へ繋いでいる。


昭和35年海外取材「東南アジアをゆく」シリーズでインド オールドデリーのスラムで無数の病人を診る日本人医師を取材した映像が、帰国してみるとNHK内部の勝手な配慮で没になっていた事例も書かれている。
昭和38年「TOKYO」は、昔蒸発した母をあてもなく探し歩く女性と、変貌を遂げる東京の街を写していた。その後ドキュメンタリーの影響力と罪を感じドラマ部門へ移動したという。


大河ドラマ太閤記」で斬新なキャストと奇抜な演出をして当て、翌年「源義経」ではアイドル船木一夫演じる平敦盛が台本通り死ぬと、狂信的なファンからカミソリ入り手紙が自宅へ届いて傷ついたり。夢の装置テレビの製作と視聴者の双方向性はある意味当時から・・・。


昭和43年「海外取材・明治百年」シリーズ、再放送の機会があれば視たい。著者の父が戦前のドイツで出逢ったという元石畳職人の老人、明治期に東京本郷に敷いた自分の仕事のその後を気にしていたという。