前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

ザンジバルの娘子軍(からゆきさん)

ザンジバルの娘子軍 (1981年)

ザンジバルの娘子軍 (1981年)

大正〜昭和にかけてアフリカのザンジバル島に住んで居た、からゆきさんの現地調査(79年)と、戦前戦後に航路のあった大阪商船OB、当時の外交官たちへのインタビューで、明治生まれの女性たちがアフリカのザンジバルで過した足跡を探すルポ。


著者が東京で初めてスワヒリ語を教わった講師の口から漏れた、子供の頃の思い出に出てくる日本人から、ザンジバルのからゆきさん探索は始まる。人づてにどうやって手がかりを探したかという工程が、石造り路地探索としても読めて、【からゆきさん】の痛々しいイメージからは少し免れられる。リアルタイムで彼女達が同じ日本人にどう見られていたかという疑問には、戦前の文書から引用もされていて興味深い。あとがきではこの本が執筆された時期が、生きた証言者のぎりぎり限界だった事も伺える。




当時マダガスカルで飲食店を営んでいた日本人が、ロシアのバルチック艦隊が希望岬を経由して、ディアゴ・スワレズ港に寄港したのを、いち早くボンベイの日本領事館に通報した情報が、その後の日本海での勝利の一助につながった、という説を初めて知る。


自分には単純な愛国美談には思えない。というのも、シベリアで諜報活動をした石光真清の手記でも生生しく書かれているように、最初に日本国内から人身売買や誘拐で売られた『からゆきさん』たちと、女衒あるいは売春業の元締めが海外の僻地へ渡り、しばらくすると個人商などが小さい雑貨店や飲食店、旅館を開く、交易の糸口ができると商社が出張所を開く。という交易地『発展』の順をなぞっているので。
男達は自分の手柄だと名乗りをあげるだろう、からゆきさんは無縁墓地すら知れず。