前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

マレー・インドネシア語圏

詩という表現形態は苦手ながら、「金子光晴詩集」白鳳社版を読む。
数日並列して『辺境学ノート』ISBN:4839600406


金子光晴の詩には昭和初期の上海〜バタビア(ジャワ島)の情景が描かれている。
当時のインテリ青年達に東南アジアへの好奇と侮蔑を増幅させたのでは?
オリエンタリズムはこの国の知識人が白人側の視線すら伝承してしまった。


辺境学ノートは東南アジアの海産物交易などを通して研究していた鶴見良行氏のフィールドノートを元にしている。民俗学宮本常一が残した膨大な資料が若い研究者への重要な継承になっている事をある程度意識して、出版したと断り書きあり。
南スラウェシと東南スラウェシ海域、南カリマンタン。アル群島を歩いている。戦前から真珠取りに日本人が大勢住んでいたり、華僑のナマコ輸出、日本の商社の海老加工場・・・。


スラウェシへは南のウジュンパンダンから10日以上かけて北端のメナドまで旅した経験もあり、情景が眼に浮かぶ。
インドネシアの華僑はマレー半島と違って小数派なので、よく暴動の的にされやすい。
そんな背景もあってか辺境の華僑たちはとても親切だった。
言葉すら違う群島の集まりでも、『国民』は敵を探す。
暢気ででたらめな旅をしておいて、今頃反芻している。
日本人は忘れていても、軍歌は子の世代に継承されていた。


P85。ウジュンパンダンで国の主催で『ウインドサーフィン大会』の開催を見て

東南アジアの近代化を見ていると、いつもこうしたぎくしゃくした感覚に襲われる。
この感覚は、つまるところ、日本をどうしたらいいのかという思いに戻ってくる。
私にできることは、東南アジアを歩いて、私にわかったことを文章に書きつづけるしかない。