前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

アフリカ「発見」 日本におけるアフリカ像の変遷

日本人がいつ頃からアフリカの黒人と接触し、僅かながら交流し、今日まで遠くアフリカを想像してきたのか非常に幅広い考察と交雑、昭和初期のエチオピア・ブーム、戦前のSF物、冒険小説、ターザン映画シリーズと幅広い。
いつのまにか自身の脳に有るアフリカ観の源流を知りたい人にお薦め。←えらそう


興味本位・・・本の内容と合致しない事まで勢い書いておく。


種子島に火縄銃が伝わって間もないころ、日本に上陸したイエズス会の宣教師が従者として連れていた黒人が、日本人との初遭遇(文献上は)。彼ら見たさに日本人が遠方から集まって来る異常な「熱狂」ぶりに気づき、黒人奴隷を見世物に資金を稼ぐ・布教に使う事を教会本部へ手紙を送っていた。織田信長が謁見したのも黒坊見たさだったのかもしれない。


洗っても洗っても色が落ちない本物の黒い肌の人間が居ることが、当時の日本人には相当な衝撃だったのか。好奇な眼が注がれたとはいえ、天正遣欧使節が航海中に見た熱帯のアジア人と、アフリカの黒人の「漆黒の肌」の違いにも言及している。


秀吉が国内の宣教師の仕事に疑念を抱いたキッカケは、九州出兵ではじめて知った、多くの日本人が奴隷商品として海外へ売られるルートが出来ていた事も大きい。以後南蛮バテレンは国外追放や排斥に変わる。なのに朝鮮出兵では現地の人間を奴隷として売りさばくには躊躇しなかった。


鎖国時代の長崎犯科帳からは、オランダ人の召使いの黒人と、現地の日本人とのクダケ過ぎた付き合いも伺える。


日本人漂流者がロシア経由で帰路にアフリカ洋上に寄った「環海異聞」では、当時の国際都市ペテルブルグで初めて黒人を見て驚いた事が記されている。
ロシア史の著名な黒人としてはプーシキンの母方の曽祖父がエチオピア人のアブラム・ガンニバルで、召使の身分から最後には陸軍大将にまでなった人物だというのも驚く。


密林/ジャングル/野生動物/秘境、探検/
アフリカ探検記、記録映画、恣意的なドキュメンタリー、娯楽映画が映画館でヒット、大正八年にはターザン映画が日本初公開、長くシリーズが作られた。邦画でも昭和初期から冒険モノで現代喜劇【アフリカ探検】大岡怪童主演/大山デブ子が土人の娘役。1932年【侍丹三(たーざん)御殿騒動】1935年 などターザンのパロディ映画が量産された。おおよそ原住民は蛮族として描かれる。
戦後の人気テレビ番組だった8時だヨ全員集合!の間抜けな探検コントを想起。