前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

イラク映画「露出不足」

アラブ映画祭2005 2日目に自転車で行く。
http://www.jpf.go.jp/j/culture_j/topics/movie/arab.html
「露出不足」Underexposure(イラク・独2005)

米軍のイラク侵攻の2003年からフセインが捕まるまでのバクダッドを、
材料不足の中で20年前の状態の悪いフィルムやカメラで映画を撮る若い
監督とその周辺。迷走するドキュメンタリータッチのドラマ。
「露出不足」はフィルムの状態と、長く暗い国と報じられない民衆を指す。


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バクダッドの街よりも監督の自問の時間が長く、私小説的な憂鬱な映画
としか思えなかったが、上映後のシンポジゥムでウダイ・ラシード監督
からシーンの補足や製作背景の話を聴いてようやく心に収める。

イラク映画シンポジゥムの雑記


イラク映画産業の始まりは1945年にアラブの映画大国エジプトからの資金と技術で始まる。
50年代中盤にはアメリカで映画技術を学んで帰国した監督達が社会派の作品で興行成功。
58年の革命で王政倒れる。バース党が実質的に支配体制を確立する
70年代中盤までが、娯楽・文芸のイラク映画黄金期と位置づけられる。


この後は政治の介入と、弾圧。映画人の国外逃亡が進む。
映画はプロパガンダとして使われる時代になる。
国外の映画がほとんど上映禁止に、経済制裁でフィルムの輸入も禁止される。
映画作品はビデオやVCDのダビング物か、フランス文化センターで上映される作品のみ。


サダム・フセイン偉人伝「長い道」ではフセインの親戚が主役を演じ
るが、後に反フセイン運動に参加したために上映禁止になった。


フセインの長男ウダイ氏が支配する青年TVでは、著作権無視で
ハリウッド製のアクション映画などが劣悪なコピーのまま放映されていた。
■客席からの質問で、80年代初めにイラク駐在だったという男性から、
TVでの子供向けアラビア語教育番組や、歴史遺産のドキュメンタリー
に秀逸なものが多かったと発言があった。
イラク戦争は未だ終わっていないという映画人達の認識。
独裁政権の検閲はなくなっても、ロケ地での誘拐や略奪、米軍の取調べ
に遭うという。

シンガポールの映画祭で、イラク特集も行われているとか。