大正大震災 ー忘却された断層
- 作者: 尾原宏之
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2012/04/24
- メディア: 単行本
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「関東大震災」として知られる大正12年(1923年)9月1日(現在の防災の日)の関東地方で発生した
大地震は、その後の火災もあって死者行方不明者が10万5千人余りという、天変地異という表現が相応しいものだった。最近改めて注目を受けている「朝鮮人虐殺事件」など、被災者や周辺住民の行為が見直されてもいる。ここであたためて掘り起こされていることの多くが、記憶もまだ生々しい311後に起きた、伝えられた事象と見事に重なっていて驚く。
震災直後に起きた救民活動など「震災ユートビア」と呼ばれる助け合いのコミュニティ。これの多くは一過性のものだけど。
渋沢栄一や著名な作家などによる「天譴論」浮かれた人間社会へ天罰が下ったという雑な放言は、なにも311直後の石原慎太郎だけではない根強い支持を受けるらしい。それに強く反論する芥川龍之介や菊池寛なども居て、(銀座で不良青年がたわけを尽くしたからといって本所で貧民の子供が焼け死ぬという道理はない)等々。
大本教など天変地異を予言していた新興宗教団体への弾圧にも、流言飛語が流れている。新興宗教の多くは世界をリセットする様な、ぼんやりした何かを仮説するものだと思うのだけど。
朝鮮人虐殺事件など各地の自警団が起こした中でも本所警察署襲撃は、祭への介入など地元住民への厳しい取り締まり陰湿さに溜まっていた鬱憤が暴徒化したとも。地元の警察官と住民との不信感が自衛することで逆転したケースも多々あるようで。
震災直後の軍隊の救援活動では、311程の落差はないにせよ、大震災を境に感謝尊敬する対象に変わっていった経緯が伝わる。
震災直後に神戸などに避難した経済人や文化人などの動きと連動しているのか、大阪発の遷都論が湧き上がる。東京市知事の後藤新平が急ピッチで東京の復興を進めていったのにある意味ライバル登場が役立ったのか、甚大な被害は第一次世界大戦にも匹敵するとして軍のあり方を問いなおす時期でもあった、「軍事研究団」民権派から軍隊のシビリアンコントロールを考える芽も早々に意外な方向から壊されたり、その後裁ち切れなのは今の現代に大きな宿題を残されている感 でかい。