前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

「シロウオ」〜原発立地を断念させた町

止まない雨模様のなか江東区民会館ティアラこうとう での自主上映会を観てきた。
http://www.kasako.com/eiga1.html
入場は130番台と自主上映会としては堂々たる大入り。主催者の呼びかけもあってか高齢者が多めだったのは気になった。


日本各地には国の原発立地計画を拒んだ30以上もの自治体がある事を知る。その中で紀伊水道をはさんだ徳島県阿南市生田原発と和歌山県日高町 日高原発建設計画を地元住民がいかにして食い止めたか当時関わった人々を取材して行く。どちらも豊かな漁場や綺麗な川からの恵みを受けての暮らし・時間がゆっくり流れているのが伝わる「間」がある。上映会場内でも何度も感嘆や笑いが起こっていた。


地元で反対運動を続けていた当時の辛く長い反対運動を今振り返りつつ、福島原発事故の被害を受けた農業・畜産・水産の同業者へ同情しながらも、先祖代々受け継いだ豊かな環境を子孫へ渡せているという安堵と、やってきたことへの自信。今も原発の専門家を地元へ呼んで継続的に勉強会(小出助教によると年に一度の休息)を開いては、巨大な国策事業を最終的に覆した体験を淡々と語ってくれる。


「開発の遅れた田舎」という括りで地方を捉え、巨額な原発パッケージを税金注いで誘致してやった的な官僚の語りは、盗人が天下国家を騙る様にしか聴こえないけど、案外広く一般にこの類の詭弁は支持されている気がする。東京電力福島第一原発の事故後でさえも。
今の原発立地よりも断念させた所の方が多いという、地道な成功体験を知らなかった事を痛感する。


一方で原発施設を誘致されてしまった地元各地を、金に転んだとか自業自得だとか簡単に責めないで欲しい。その曲解だけは避けて欲しいと思う。国策という途方も無い有象無象の組織の先導たちは、地元で借金や家庭などに問題を抱えた世帯の内情を調べ上げ、そこから切り崩して、住民の信頼関係を分断していったのだから。