前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

「オオクボ 都市の力 多文化空間のダイナミズム」「新大久保とK-POP」

オオクボ都市の力―多文化空間のダイナミズム

オオクボ都市の力―多文化空間のダイナミズム

90年前半から2005年位までの継続調査をまとめた本、オオクボ(百人町と大久保〜小滝橋をはさんで北新宿、南は職安通りから北)周辺のお店の看板、写真、店舗の種類と国籍の推移が細かく調査されている。
まち居住研究会
http://www.emachiken.net/index.html


80年代から急増した外国人居住者と受け入れ側の日本人大家さん・オーナー側の対応の変化と、様々な所有者の変化も。これはぜひとも今後も継続して読みたい調査。


江戸時代は豊島郡、伊賀の鉄砲百人組を住まわせていた。明治からは軍人、文人小泉八雲などお雇い外国人やキリスト教を母体にした社会奉仕団体、亡命活動家、孫文も1913〜3年間もの間、百人町に住んでいた。戦時中は南方特別留学生を受け入れた国際学友会が柏木町(北新宿3丁目)に、戦後もアジアの留学生を受け入れ続けた。終戦直後は歌舞伎町の大規模開発と連動して、繁華街の北が連れ込み旅館地帯にも激変する。今は韓流で賑わう細路で点在するように外国人が商売を始めたのは70年代、雑居ビルでの同胞向けビジネスが活況になったり、周辺には留学生向け日本語学校の乱立、一部の食堂でも日本人のお客を受け入れる様に熟れていった店が増え、エスニックタウンとして紹介されるのは90年代から。とはいえ当時はレストランガイド本もわずかだったはず。流行やビジネスチャンスを逃すなと言わんばかりのテナントの変化、落ち着かない程に変化が激しい。


◎去年NHK BSのドキュメント72時間で百人町の八百屋さんと近所に住む多国籍なお客さんたちの暮らしを取材した放送があった。


新大久保とK-POP (マイコミ新書)

新大久保とK-POP (マイコミ新書)

ページ数が薄い新書のうえにペンネームが引っかかってずっと読む機会を逸してた。充実した内容で御見逸れしました。新大久保界隈の雑居ビルの並びとテナントの多国籍な面白さ、エリア全体の変化を平易な文章で伝えている、魅力的なタイトルに惹かれて読む人も多いかと思う、この街を以前から知らないK-POPファン(まるで他人事みたいなざっくりした括り)が喜ぶ内容かは自分にはちょっと分からない。冬ソナ以前からの韓流の兆しも触れられている。2002年日韓ワールドカップ時や、3.11大震災直後のお店で働いていた人達の話もインタビューを聴いているようで興味深い。同年夏前までの取材で書かれている。この後も客が倍増して細路は歩けないくらい韓流エリアは膨張していた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜
内臓が驚くくらい豊かなタイ料理を楽しみ、最新MVが流れる中国語カラオケの店に通ってた身としては、より多国籍の店が繁盛してこそ この街の魅力があると思う。最近はこの周辺のスーパーでホンチョが安いのでついでに食材もという買い物をしている。韓流エリアに溢れる公式・非公式グッズに興味はないけど、入荷の早い新譜CDを買っても韓国の歌番組ランキングに反映される店が未だに無いので、基本買う気がしない。やっぱり人気アイドルの韓国出演番組をDVDに焼いて売ってしまう一部の店の「機敏さ」と韓流ビジネスの「グレーさ」があるなぁと。


去年2012年8月の韓国大統領竹島上陸と天皇の謝罪をの発言直後、街を訪れる客数は激減した。それから今は持ち直しているーと視るか否かは、直前の異様な客数を基準にする・しないの違いだと思う。自分の肌感覚では韓流エリアのお客の数は充分過ぎる程に多い。


TwitterやWeb記事では現地での在特会デモと有志によるカウンターの対立が何度か伝えられている。

どんな国でも自国民をなんの根拠も無く褒め、自分の縄張りから一歩も出ず「ヨソ者」に狂った様に吠える愚か者は一定数湧いて居る。それも爬虫類の古い脳の部位で。と言って街中で「◯◯人はゴキブリ、殺せ」などの暴言やプラカードはスルーできない。今後もずっとこの街の変化を人の流れを風通しよく享受したいから。