済州島 四・三事件〜「島(タムナ)のくに」の死と再生の物語
今月都内の楽しい集まりで、偶然というか必然というか初対面で在日一世の元教師の方に、韓国語の文章を校正してもらう機会があった、出身を伺うと済州島とのこと。数年前にETV特集で視た「悲劇の島チェジュ(済州)〜“4・3事件”在日コリアンの記憶〜」番組タイトルすら忘れていたけど、やはり当時島で起きた殺戮から逃れて日本へ渡ったのかなと想像して、
「当時、沢山の方が亡くなられたようですね」主語が曖昧な頭の悪い質問をしてみたけど、質問しておきながら事件の大枠すらサッパリ覚えていなかった。悔しかった。
- 作者: 文京洙
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2008/04/01
- メディア: 単行本
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島民を凄惨な暴力で追い詰めたのは北朝鮮領から南へ逃れて来た「西北」と呼ばれる反共右翼青年団。米軍側も当時の済州島を「アカの島」とレッテル貼りをしていた。80年の光州事件で民衆へ発砲した武装警察側の証言と共通するものがある。地域全体が赤化した奴らと決めつける事は、為政者にとって殺戮の免罪符になるのか。
2000年の金大中政権でようやく事件の真相を究明する特別法が公布。2003年調査報告書。犠牲者の遺骨を発掘する作業が続く。
1948年済州島四・一事件と1980年光州事件の真相究明は多くの被害者や遺族にとって特別な意味を持つ。盧泰愚政権の時には日本の植民地時代の協力者を掘り起こす作業をしていたけど、戦後生まれの日本人としてはヤリ過ぎとしか思えなかった、未来から裁けばかなりの冤罪を生む。でも韓国の歴史を問う姿勢は自国民にも容赦無い。過去の過ちを責任の所在を曖昧にして流すわが国とは両極端でどちらも怖い。