前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

検証 福島原発事故記者会見1・2

東京電力の記者会見へ通い続け、質問し伝え続けているフリーランスの木野龍逸さんの中間レポート2冊。

検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか

検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか

2011年3月の事故直後から年末までの出来事を捕捉している。記者クラブと東電・官邸との馴れ合いを暴露する類の本ではない。
SPEEDIの観測が長く公表されず結果多くの住民が高線量下に長くさらされた問題では、
取材して分かった重要な情報をすぐに紙面に出さず、政府発表をそのまま載せ続けるのは大手メディアにあるケースかもしれない。でも大新聞やテレビの報道を「マスゴミ」と丸ごと罵倒するだけでは、中で発信しようとあがいている有能なひとまで見殺しにしているのかなと気づかせてくれる。度重なる長い記者会見で明らかにしない重要な点を追求し続け、根気のいる調査報道からなんとか事実を一部公開させた新聞メディアの仕事ぶりも載せている。


検証 福島原発事故・記者会見2――「収束」の虚妄

検証 福島原発事故・記者会見2――「収束」の虚妄

先月続編が発行された。故日隅一雄さんの呼びかけで先の共著を書き上げた経緯は 8章「あるジャーナリストの死」で書かれている。情報公開を求めることが今の不完全な民主主義には必要なことだと伝え続けた方だと思う。


現実はテレビ会議の録画記録の存在を認めさせて公開させること自体が大仕事になっているし、避難住民向けへの說明にも、不必要な程の専門用語と言い換えを通し続けている。原発収束作業についての政府発表や東電の記者会見をチェックし続けるのは精神的にも苦痛だ。事態を過小評価しミスには嘘をつき通すことが彼らが所属する組織の最優先事項なことだけは伝わる。
対話する為の日本語をここまで貶めた原発事故の影響は計り知れない。共同体の最低限の信頼関係すら壊してしまった。怒りと虚しい気持ちが交錯する日常のなかで、東電記者会見の霞の様な発表に、当たり前で分りやすい說明を求め続け、事実を少しでも明らかに伝えようとする仕事に感謝する。