前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

「原子力ムラ」を越えて ポスト福島のエネルギー政策

「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策 (NHKブックス)

「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策 (NHKブックス)

原発事故後からわずか4ヶ月後に出版されたソフトカバー本。NHK総合では未だに放射能被害を過小評価するような番組を放送しているけど、ETV特集やBS番組やこの本での発信は心強い内容が多い。
福島県知事の佐藤栄佐久氏は任期中に原発の度重なる事故隠しや内部告発を体験し、東電・保安院を信用しなくなり独自の専門チームを作って、安全性を満たす内容か検証し始める。福島原発だけでなく「核燃料サイクルを立ち止まり、国民的見直しを」と全国紙で訴えてもいた。2002年には中間とりまとめとして公表した「あなたはどう考えますか? 〜日本のエネルギー政策」で広範囲の問題提起をしていた。

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国は「日本経済に必要な電力を供給するには、絶対に原発が必要である」という姿勢を崩さない。〜プルサーマルも「必要だから必要である」という理屈を延々と繰り返しているのだ。〜しかも、事実を隠したり、見て見ぬふりをすることこそ「正義」であるかのような、倒錯した価値観まで生まれつつある。


去年2012年10月に最高裁で前知事が主張していた冤罪事件の上告が棄却された。



収賄罪がいわゆる国策捜査で、これまで原発建設差し止め訴訟をことごとく潰して来た司法機関。佐藤栄佐久氏は三権分立の危うい関係さえ表に晒した。安心して暮らすために最低限必要な社会の屋台骨が信用出来ないとは、オレオレ詐欺は裁判沙汰を嫌う国民心理をよく突いている。
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河野太郎議員も原発事故以来、自民党の中に居ながら核燃料サイクル事業見直しを主張してきた発言が、ようやく主要メディアにも載り出した印象が強い。他のインタビューでも繰り返されてる重要な箇所なので引用。

メールしました とか、ツイッターに書きましたとか、デモがんばりましたというだけではだめです。仲間がこれだけいるということを確認したら、政治家のところに行って、みなさんの想いを確実に伝えてください。
河野さんのブログ読みましたというメールがたくさん来ますけど、ブログ読んでも世の中変わりません。ブログ読んで、そうかと思って行動するから世の中変わるので、ちゃんと行動するところまで是非やっていただきたい。
リビアと違って、政府軍が銃撃してくることはありません。北朝鮮みたいにそのままどこかへ連れて行かれて行方不明になることもありません。
声を上げますか、それとも泣き寝入りするのですか。


この主張は複数メディアで繰り返されている。
あなたの地元選出の議員の事務所の住所を調べて気軽に訪ねて行って、自分たちの意見をハッキリ伝えて下さい。本人と会えなくてもスタッフが地元有権者の意見を確実に伝えるから、という河野太郎議員の主張は一見理想論のように思えるが、これまで反原発や重要な市民運動が常に仲間内で主張して小さく共感して満足して失敗して来た、これまで基本が足りていないアクションを言い当ててもいる。
自分がそいつには一票を投じなかったけど、当選してしまった いけ好かない政党のいけ好かない議員の事務所へ乗り込む行為は、こちらの自意識過剰を捨てれば出来るのかなと思う。まぁ、最初から会話が成立すると望まないくらいのレベルで、相手はムリな陳情を親身なフリをして聴くだけプロなので、色々勉強になると思う。
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再生可能エネルギーの旗手 飯田哲也氏も原発事故以来、廃炉作業を念頭に各方面から頼られる異才の専門家だと思う。技術者の時は核燃料を収納するキャスクを設計していたので、事故後の困難な収束方法にも具体性がある。現場は技術職のOBに頼るしかないはずだ。本書で飯田氏の言及に、自分の長年感じている問題意識と重なる部分を引用する。

電力会社が膨大な広告費を武器にメディアを支配しているという論も成り立つであろう、しかしそれ以上に、日本の知識人総体の中心にぽっかりと空いている「知の空洞」が問題の本質なのではないか。ここでいう知識人とは、大学教授や専門家にとどまらず、政治家、官僚、評論家、ジャーナリスト、カリスマブロガーなど一定の言説(ディスコース)を構築する役割を担っている人々を指す。
これほどの事故を目の当たりにしながらも、相も変わらず、自然エネルギーはコストが高いだの、原発地震に対する安全性は立証されただの、格納容器は壊れないしプルトニウムも飲んでも大丈夫だの、浜岡原発を停めると東京はこの夏、停電地獄に陥るだのといったデタラメな言説がまかり通っている。それは、海外とくに欧州の環境政策コミュニティが構築し共有している「環境ディスコース」という知の共通基盤が、日本には欠落しているからだと私は考える。


311以後は特に強く感じる、日本社会の空気を形成する役をしている知識人はこれまで何に注力して来たのかと。未だに頭の中はオリンピックかバブル真っ盛りな言説も珍しくない。持てるだけの知識を総動員して、他者や小さな集団や地方を隣国を丸ごと嘲る様な釣りや騙りで遊んでいる様にしか見えない。エリート官僚並に植民地の特使ごっこが面白くてやめられないのか。
国策とはいえ東京電力福島原発なのだが、そろそろ福島が勝手に事故った事だとか、原発で食わせてやってるとか、見えない隣人たちの低レベルな本音が聴こえてきそうで、面と向かって言われたら衝動的な殺意を抑えるのは自信がない、冷笑に対する怒りは我慢しないことに決めた。