前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

落語論 堀井憲一郎

落語論 (講談社現代新書)

落語論 (講談社現代新書)

2000年代から寄席や落語会に激しく通いつめているコラムニストの落語論2009。これまで出版された「落語」を語る本は、芸人自身の自伝か、批評家が特定の芸人への偏愛を語るか、無理矢理カテゴリーと細分化した堅い落語辞典だったと思う。

この薄い本には、つまらない落語を気を失うくらい延々と聴き続けた深い絶望と恨みの時間が煮詰まって(ここに一番共感したので)読者は上澄みだけを楽しめる様になっている。
才能のある落語家の技量を短い文章で半分いやいや紹介したり、つまらない噺家でも放っておけず聴き続けては、陥りやすい欠落したなにかを、具体的な技術論でいやいや救おうとしてもいる。これは下手に弟子入りするよりも学ぶことが多いのではないかと。


著者はバイトを雇って膨大なデータ集めて書いたTDLの効率良い回り方など、実用ガイドブックを出していたり、はたまた時代の通説を独自の切り口で処理した「若者殺しの時代」を書いてベストセラー本にしてもいる。自分が説明するまでもない。

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客席の観客次第で落語家を生かしたり殺したり出来る、脆い芸だとは思う。
自分は演者にとって嫌な客だと思う。客いじりされてもリアクションが薄いし、演者と観客が一緒につくる空想の舞台で非協力的なので。本にも書かれている様な、場違いな所で笑い続ける客とか・・・TVに出てる落語家が出ると拍手喝采する客とか、客層が許せなかったりする狭いココロの小人なので仕方ない。


それでも、滑稽落語好きなので空間自体が理不尽なくらいで丁度良いとも思う。


昭和30年代を大掛かりなCGで再現した映画があるらしいけど、自分としては畳のある席で眼の前で地味な落語家の演ずる古典落語を観た方が、自分の生まれていない高度成長期前の日本に流れていたと思わせる、特異な時間が流れる空間にしみじみする。そして自分にツッコミを入れる、ノスタルジーなんてろくなもんじゃない。