前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

3・11後も変わらない日本を思う。

今月聴いたポッドキャスト「オンザ・ウェイ・ジャーナル」神保哲生のワールドレポート(12月13日放送)で、今まで自分が感じていて人に説明できなかったモヤモヤが晴れた。
http://site.jfn.co.jp/owjtue/blog/bn/100


福島のあるゴルフ場が東電を訴えた裁判で弁護側が、降り注いだ放射性物質は「無主物」(所有権がない)ので東電が除染する必要がないという詭弁を、裁判所側が受け入れたという。
ジャーナリストの神保氏はラジオ番組で聞く限り、脱原発一辺倒の立場ではない。しかし裁判所が日本社会で、原発推進を止められなかった要因のひとつと仮定している。


これまでの原発差し止め訴訟でも、ことごとく裁判所が棄却にして、どうせ裁判では勝てないというあきらめムードを作って来た。こんな判決が通るなら検察が事件の調書を捏造する事を仕事と勘違いするのも分かる。


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公害訴訟でも何十年も裁判で争って、患者の多くが亡くなってからようやく和解している。そんなニュースを見れば、あぁ運の悪い人達だと、公正など初めから求めないあきらめのイイ国民になるのは当前だ。マスコミのなかには反権力と意地を張って、虐げられた人々を報道していた人達も居た。でもそれはこれまで悲劇のドラマとしてしか伝えられなかった。貧しい僻地を別の国の物語として回収されてしまう問題すらあった。


前回の選挙の候補者を公示した紙とあわせて、最高裁判所裁判官国民審査用に配布された、各裁判官のプロフィールに目を通して無性にハラが立った事を思い出した。
審査するためには誰がどんな有名な裁判にどんな判決を下したのかを知る必要があるのに、書いてあったのは、誕生日や「星座」当り障りのない「趣味」ばかり。


こんな裁判所ならオレオレ詐欺に引っかかる人達が絶えないのも理解できる。「裁判沙汰」になるくらいなら、金で解決しようと思うだろう。地方の議員が地元の自営業者の揉め事に勝手に名前を使われて脅し文句にされるのも同じ根っ子だろう。


こんな信用の無い司法と一連のマスコミ行財政組織の「働く方向」を3・11以降にどう変えて行くことが出来るのか。
原発事故直後は、今は悪者探しをするなと言う声が大きかった。もうハッキリ間違いを認めて反省して変わってもらうしかないだろう。
やるべきはオヤジ・ジャーナリズムが好む個人攻撃ではなく、都合の悪い書類も公開し易くする仕組みなり、新しい事を始めやすい場所作り、保身と責任逃れが重要視され評価された今までの職場から、元々なんのために作られた組織なのかと立ち返れば、とても単純ではないかとカッコ付きのポジティブ・シンキング