前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

カラシニコフ2

カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男 (朝日新書 106)

カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男 (朝日新書 106)

世界中で最も多く使われている自動小銃AK47の設計者カラシニコフへの聞き書き自伝。
1919年、中央アジア寄りのアルタイ地方の農家に8番目の子として生まれた。母親は計18人も生んでいるがっ。
教育機関でほとんど専門知識を与えられず、発明工夫好きなひとりの兵士が、第二次大戦中ドイツとの戦いで重症を負い病院送りになり、過酷な戦場でも故障しない優れた自動小銃を造ろうと試行錯誤する。ソ連軍に正式採用されてから、砂塵や泥にも強く故障の少ない銃は50年後の今も基本設計に変更が無い。冷戦当時に友好国への技術供与もあり、今は設計者の意思を越えて世界中の工場で勝手にコピーが造られている。


ソ連時代は研究開発一筋で極秘扱いの生活かと思ったら、地方代表の議員をしている時期があったとは驚く。知名度を生かして上層部へ陳情して回ったりしてたとか。いまだにスターリン信奉者と言うだけあって、フルシチョフ・ブレジネフと歴代の書記長の印象や関りを語るところは、面白いというか・・・。



カラシニコフII

カラシニコフII

カラシニコフ』の続編。過去日記分●で少し感想を書いた。前回はアフリカ大陸の紛争地と、ロシアで健在なカラシニコフ氏へのインタビューが主だった。今回は南米コロンビアでAKの中国製コピーが米国経由で大量密輸されコカインと取引されている実態や、米軍のアフガニスタン攻撃以降の国軍訓練や復興プログラムなども取材。


健在なカラシニコフ氏との再会や、AKを手作業で仕上げるパキスタンの鍛治村ダラ/ダッラでの取材が興味深い。昔、『月刊GUN』に旅しながらレポートを書く連載コラムでこの村の様子が紹介がされていた。あれから職人は世代交代したのか、まだまだ需要は衰えない様子。銃にはお客が望む各国製の偽造刻印が刻めるようになっているが、北朝鮮製の刻印は無いという。そんな銃は誰も買わないから、と店の答え。


むすびにも再度紹介されている設計者カラシニコフ氏の言葉
『私が開発した銃のコピーが世界各地に出回っている。そんなまがい物でも米国製の自動小銃よりいいという。誇らしいような悲しいような・・・』