前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

遠い「山びこ」 無着成恭と教え子たちの四十年

先週日曜のTBSラジオ【全国子ども電話相談室】で久々に無着成恭(むちゃくせいきょう)が先生としてスタジオ入り。長寿番組の単なるOBではなく番組の立ち上げ当初から関わっていたという。平日の夕刻から日曜のみの放送になって随分経つ。最近の放送は子どもの質問へ答える先生達の回答がやんわり丸め込む感があって、どうも記憶に残らない。
今回ずいぶんと酷い受け答えもあったけど、無着成恭の強い訛りと逆質問は健在だった。
子ども『本はなんで本って言うんですか?』
無着『●●ちゃんはぁ、なんんで●●ちゃんって言うの?知ってるぅ?!』


無着成恭が番組を作るまでの経歴を知りたくなった。


遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年 (新潮文庫)

遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年 (新潮文庫)

92年刊の文庫版。
戦後まもない昭和23年、青年成恭が山形県の山村・山元村に教師として赴き、中学生43人の生徒と3年間対峙して作り出されたクラス文集『きかんしゃ』と、それを元に書かれたベストセラー『山びこ学校』の反響。無着成恭の半生と、文集『きかんしゃ』全巻を探しつつ当時の教え子たちをさがし尋ねていくルポ。
当時の出版側の事情は混み入っていた。村から追放された事情も、生家である寺の檀家からも嫌われた経緯も。ただ世間一般のイメージとはかけ離れている。単なるズーズー弁の教育者タレントでもなければ、村の恥を世間に広めて有名人にのしあがった人でも無い。
著者が調べ歩いた時点で村は縮小され地元に残った教え子も少なかった。農業に従事する人は男女ひとりづつ。本書のかなりの部分は当時の教え子から今までの生活を訊く事に割いている。昭和9年、冷害飢饉の年に生まれた生徒たち、満蒙開拓団に多く召集された村だった、戦後の農地解放も山林が多く耕作地の少ない村では旧体制が温存された事なども。
予期しなかったベストセラー以降の無着成恭へのマスコミの持ち上げと手のひら返し、家族の死や極貧を作文に書いて日本中に『感動』を広められてしまった子ども達、映画ロケは勿論、上京して『山びこ学校』劇の鑑賞は当人たちには辛過ぎる。


生徒の読み書き算数の学力が遅れていたのは、家業の長時間労働と小学生時代の戦時奉仕活動にも原因があった。
将来を諦め疲れた子どもを根本から変えた無着成恭の教育は、母校で継承されず語ることもタブー視された。
疑問を持たず考えないで生きること、それは学校教育で今も継承されているかと。