前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

五大連池から黒河

konton2007-07-16

早朝のバスで五大連池から北へ、黒河(ヘイハー)まで235キロ、鉱泉保養センターでロシア人の団体を乗せ、自分の隣には中国人添乗員の娘さんが座る。ロシア語で客の面倒を看たのは最初だけで、後は持ち込んだ朝食やスナックをバリバリ喰って……、車内の冷房機能がロシア人向けなのか極端に強く、お客の老婆たちの濃い香水が車内中に渦を巻く。


老人のひとりの親指の付け根あたりに、数字とキリル文字を組み合わせたような入れ墨を視る。在りし日の収容所と関係があるのかな・と妄想する。一方で肩出しシャツにミニパンツという薄着で乗った添乗員さんはガタガタ震え、最後は鼻風邪っぽくなってた。


しかし、バス車内のテレビ上映はロシア人の団体などまるで居ないかのように、今までのバスと同じ様な「旧正月特別お笑い番組」を大音量で放送する。道中も点在する村々でのんびり短距離の客を拾ったり降ろしてる割には、3時間で黒河へ着く。


ここで強気のおばさんタクシーに押し切られ、賓館へ連れ込まれる。表示より安くしてもツインが一泊100元。自分としては完敗だけど、郊外にある愛輝歴史陳列館へ往復100元で自分を連れ出そうという企みは断固阻止。断ってもサバサバしてたけど。お兄さんが東京のレストランで働いてるそうです。


テレビをつけたら王心凌が映って吃驚。台湾のテレビ局が数年前に創った『天国的嫁衣』をハルピンの局が放送していた。そういえば、この日バスの後ろに乗ってた青年のケータイが鳴った時の着メロが、「愛イ尓」だった。夕方に貴州省の局も天国的嫁衣の違う回を放送していた。


昼の陽射しが強烈な中、国境を挟んで流れるアムール川黒龍川)を川岸沿いに延々と歩く。

東の中州にある自由貿易区の市場を目指して。商城は一階が家電と日用雑貨、二階三階が服装だった。それにしてもケータイのブースが多い。月曜のせいかロシア人の客の数はそれほど多くない。中州の海岸から見えるロシア側のブラゴベシチェンスクはかなり近い。




ここまで来たけど泳ぎもせず、遊覧船も乗らなかった。川岸で涼をとる住民たちや遊泳者は本当に多い。でも黒河の街は細長いけど、建設中の巨大な建物多く、中心部以外は人間活動が感じられないスカスカな印象を受けた。
ロシア人向けにキリル文字の看板が目立つ。

古い映画館 今はショッピングセンター


国境貿易のにぎわい、とは言えない。歓楽街もあるけど国境の街の混沌さも無く、両国の友好モニュメントやら、広い公園も多い。



けど、歩いていて ーだんだん凹みに近い虚しさが募ってくる。対岸の街でシベリア出兵の口実になった事件が起きている。1918年の外務省資料で、日本国内から海外の売春宿に売られた「からゆきさん」の所在地と人数の調査によると、シベリア方面では
ウラジオ 447名
ニコライスク 65名
となっている。
ロシア革命直後にこの対岸のブラゴベシチェンスクに入った。石光真清の手記にも、ロシア人相手の夜の商売が書かれてあった。実数はもっとあったろうと思う。
でも周辺をろくに調べずに来てしまった事も後悔。


いいかげん休みたいと思いながら、惰性の歩きが止まらず。
日没後も歩き続け、あまり食べたいような食堂も見つからず、グルグル回って客が空き始めた食堂へ入る。ここは当たりだった。羊肉の豆をまぶした揚物、使ってる油も上品な感じ。従業員の笑顔も自然体でこちらまで嬉しくなる。


いろいろな街のレストランや食堂で募集広告を視ると、月給が600〜900元(管理者クラス)、だいたい1万円前後。上から命令されただけの接客マニュアルでは自然な笑顔は生まれないと思う。