前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

湖→大金→カイラスコルラ

初めてカイラス山を見る

湖の朝は風もなく静か、湖面で顔を洗う。やはりコルラするひとは見かけない。愉はこの一周100キロ以上のコルラを望んでいる、が寒風や開店休業の食事処も予想され、寝袋や食料等の必要があり今回は無理と意見一致。カイラス山コルラに向かうことにする。Y君が大金行きのトラックと交渉して来てくれる。ひとり湖へ残って五人になり割って30元。10時過ぎ、前がバンで後ろが荷台の車に無理やり乗る。Tさんが同乗のチベット人ジェスチャー会話。途中忘れ物でドライバーが戻ったり昼休み休憩はさんで大金へは1時頃着く。


入り口で入山税50元。いつから取り始めたのか・・・。
英語が堪能な係りのおねえさんにひとり20元の安宿を教えて貰う。
坂を上がって右端のヤクホテルで重い荷物を預け三人と別れて、
我ら二匹はコルラ決行。


昨日は一日食べ損ねたので食堂で腹ごしらえ。漢人と間違われているのか
怪訝な対応。やがて台所でケンカが聞え・・・・、すすり泣く声、
程なくして鳴きながらトントントントン・・・と調理する音。
チベット面のトゥクパを頼んで随分待ってプュートゥーが出る。
すいとんの様な面にヤクの肉と野菜が入っている。
スープはスパイスが効いている。ひとり8元。
消化も程々にコルラ開始。午後2時50分。



   ●コルラ編


夕方と言っても北京時間なので西の地では今が一番日が高い。
我々は南から時計回りに廻るが、逆周りの大勢のボン教の信者とすれ違い挨拶しあう。

「たじでれー」

           「た〜ぢでれ〜〜〜」
「た・じ・でれ!」 


「ダシデ・・・・・・」
『ダジデレ』「タシデレ」『ダジデレ』「タシデレ」『ダジデレ』「タシデレ」 『ダジデレ』「タシデレ」
        

 『ダジデレ』


   「だじでれぇ」


「たじぃでれぇ!」


老若男女在家出家と様々な挨拶。
祝詞の意味を込めたタジデレが圧倒的に多い。


小さな起伏を進む、一時間もしないうちに初めのタルチョでカイラスの頭が見えた。気分は楽勝。そこから平地へ降りて暫く楽な道が続く。2時間と少しで初めに泊まれるところへ着くが、未だ時間があるので北面まで一気に歩くことにする。




巡礼者とも会わなくなり、川沿いの冷たい風が吹き始めると風邪気味だった身体が冷え始めてセキが出始めてしまう。休憩中もセキが止まらなくなる。
休むとより冷えるので疲れていても休めなくなった。


カイラスを西から見ながらも風邪のような頭痛がしてくる。4500Mの麓から5500Mの峠を登り降りすることを、薄着で甘くみていた。足取りが途端に遅くなり愉に迷惑を掛ける。夕刻午後九時前に寺と宿の
あるティラプクへ。愉がひとり川を渡って寺へ泊まれるか訊きに行く。
待っている間に陽は山の陰になり寒風が体を刺す。頭が痛い唇がバリバリに変質する。生きる為の弱弱しい予備電源が入る。


暫くして寺へ渡る橋が更に先と見て愉が引き返してくる。
後でこの寺も文革で一度壊されている事を知る。


丘の上の宿へ、宿泊施設もあるが既に満員だったのか、ここの家族がくつろぐテントに20元で泊まれと英語で言う。バター茶の臭いが染み付いたお湯を貰う。この家族の子供は独特の節回しで話しては家族を笑わせている。大人達は相槌や笑い声で聴き入る。
日本人と知ると、お約束の抗日ドラマの日本兵のセリフを言って客いじり。
元気なら返せるのだが、すまん。
外で凍え死に掛けたので毛布に包まり、やむをえず
10元もするカップ麺を子供につくってもらう。
体質が合わないので麓では買ってこなかった。夜は不思議な体臭のする毛布に包まり、頭痛と食べ慣れないカップ麺の消化に苦しみながら眠る。
星を見る余裕などなかった。