前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

犠牲のシステム 福島・沖縄

犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)

犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)

誤読だらけの雑感。


福島県放射線健康リスク管理アドバイザー、山下俊一教授の「100ミリシーベルト以下なら安全だ」「ニコニコしている人のところには放射能は来ない」というトンデモない発言よりも、「私は日本国民の一人として、国の指針に従う義務があります」これこそ問題だと著者は指摘する。汚染範囲の詳しい状況や将来の健康被害のリスクを説明もされていない福島県の住人に対し、国の決めた基準値にはただ従えと訴えているからだ。

 これは戦時中に盛んに行われた、国民は国家に命を捧げるべしというのと同じ、支配者側にとって便利な「尊い犠牲」の酷いリメイク版だ。


戦時標語【権利は捨てても義務は捨てるな】


主要な産業が弱いとされる地方には、中央からの莫大な補助金が貰える原発や米軍基地が必要なのだという論客や元官僚は未だに多い。
沖縄の米軍基地移転問題でも、はじめに沖縄住民の犠牲ありきで現状維持が騙られる。実際基地施設撤去後に作られた商業施設で、基地の時よりも雇用や利益を生んでいる地域がいくつもある事には、国益を騙る事情通や東京発のメディアはまったく触れない。広大な基地は伸び続ける観光産業の邪魔にしかならない。


所詮、自分たち以外を国民と呼んだり、地方の人間を蔑む世界観のうえにしか彼らの論理は語られない。それに大多数の諦めのよい人々が従う。それは自分たちは犠牲にされないと勝手に思っているから。その視点の中には田舎を素朴で素晴らしいと言い、ガンジーの非暴力主義を理想化する人々も居る。画一化された地方郊外のロードサイドを少し見ては「文化がない」とか「田舎の閉塞感」と一言で片付けるひとも居る。なんにせよ自分たちが豊かな生活水準だと思うためのオカズでしかない。


対話のできない知識人や専門家たちの組織は、他者を蔑む事こそ怠らないが基本的な役割には立ち返って考えもしない。