前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

北朝鮮に消えた歌声 永田絃次郎の生涯

北朝鮮に消えた歌声―永田絃次郎の生涯

北朝鮮に消えた歌声―永田絃次郎の生涯

帯のコピー文、「北朝鮮帰国事業に夢を託し、祖国へ帰った名テナー、永田絃次郎(金永吉)。その全生涯が初めて描かれる」


当時日本の植民地韓国で育ち、平壌のミッションスクールで西洋音楽の基礎を学び、合唱と当時珍しいクラリネットを習う。日本へ渡って狭き門の東京の陸軍戸山学校軍楽隊へ入学。除隊後に歌手を目指し下八川圭佑に師事、音楽コンクール声楽部門入選。ソプラノ歌手三浦環の舞台「蝶々夫人」相手役に抜擢される、私生活では日本人女性と結婚して帰化キングレコードに移籍してからは人気の戦時歌謡を数多く吹き込む。日本の敗戦後は、在日朝鮮人同盟(朝連)主催の舞台が多くなる、そして昭和35年1月新潟港から帰国船へ家族6名で北朝鮮へ。帰国直後は金日成に気に入られて活躍した様子も、最晩年の暮らしはあまりハッキリしない。


同郷で後輩にあたる流行歌手、小畑実/カン・ヨンチョルの逸話が面白い。
あの独特の甘い歌声は、個性的な歌声を目指して努力して生まれたクルーナー唱法というのか。


戦後のラジオ歌謡から 虹の都

まだ朝鮮特需の前のどん底にあって、この突き抜けた明るさとチカラは何なんだろう。