前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

三國連太郎 沖浦和光「芸能と差別」の深層

旅芸人のいた風景―遍歴・流浪・渡世 (文春新書)

旅芸人のいた風景―遍歴・流浪・渡世 (文春新書)

非常に面白く読みやすかったので、以前から気になっていた三國連太郎との対談本を続けて読む。第一部1〜3章までは、三國連太郎自ら語る出生から俳優稼業までの話。戦時中に放浪して兵役を免れていた時に、母親に送った手紙が元で憲兵に通報されてしまい、結果親に密告された体験も話している。
4章以降は日本列島と周辺の芸能民の歴史と「差別」の両輪の関係について、異様に深い対談が進む。俳優としか認識がなかった三國連太郎は、長くこれら芸能と差別される側の歴史を、膨大な文献で読み解いている人なのだ。
P228で沖浦氏が語られる、日本には結果取り入れられなかった孟子易姓革命論 禅譲放伐か、も興味深いが、この本のタイトルの答としてはP242 「なぜ芸能民は〈賤〉とされたのか」に韓非の「農本主義」が提示されている。大雑把に言うと支配階級と定住農民以外の職種は雑業として扱われ、国の害悪であるとまでいう身分制度


これは一握りの階層のための帝王学だし、今の価値観に捕らわれれいるせいかピンとこない。大衆が芸能者に惹かれる一方で、愛憎込みの妬み?出生やら私生活を勝手に詮索して蔑むという理由にはならないので。むしろ安定志向が過ぎて遊民を血祭りしたい願望、なんてドーでしょう。