前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

アルンダティ・ロイが語るインド経済成長の犠牲者たち

独立系メディア【デモクラシーナウ!日本語版】
インド人作家『アルンダティ・ロイが語るインド経済成長の犠牲者たち』動画ページ
http://democracynow.jp/submov/20090928-2
9.11直後に誰かが『いずれ貧困がテロリズムと一緒くたにされる日が来る』と言い当てたと。
政府や企業にとって鉱物資源の開発に邪魔になる先住民たちを、反政府のマオイストと呼び土地から追い出し、強制排除している実情を語っている。採掘権を大財閥タタグループに売ったチダンバラム内務大臣は、なんと元エンロンの顧問弁護士だった!


インド・パキスタンとの対立の説明に、長年のカシミール紛争を短時間に端折って語ってもくれる。『ジェノサイドは、まるで自由貿易の一環のように、ジェノサイドとされるか起訴されるか、すべて世界貿易との関係で決まります。』


なんという残酷な表現の告発なのか。
インタビューを見た後しばらく忘れられなくなった。


彼女の活動の経緯が分かるエッセイ集が日本語訳で出版されていた。
わたしの愛したインド
わたしの愛したインド(2000年)
帝国を壊すために―戦争と正義をめぐるエッセイ― (岩波新書)
国を壊すために ー戦争と正義をめぐるエッセイ(2003年)
誇りと抵抗 ―権力政治を葬る道のり (集英社新書)
誇りと抵抗 ー権力政治を葬る道のり(2004年)


3冊とも薄い本なので読み易い。『誇りと抵抗』収録のチョムスキーの孤独、というエッセイも敬愛の中に自嘲も深読みしてしまう。


『わたしの愛したインド』 はナルマダ川での大規模ダム建設での立ち退き住民側に関わるようになったところから書かれている。一市民が自国の重要な問題に関心を持ち続け、運動を持続させることは並大抵のことではない。後半はインドとパキスタンの核実験成功を煽る風潮と、抑止力という嘘について。
敵味方なく誰彼なく噛み付く辛辣な文章。それでいて世界中に発信してやろうという強烈な怒り、怒りを通り越して笑いに到達してもいる。

想像力の終わり p132 より

囃し立てながらバブリ・マスジド(イスラム寺院)を叩き壊していた若者たちは、核実験後毎日のように新聞の写真に顔を出していたのと同じ若者たちだ。彼らは街へ出て、インドの核爆弾を祝い、同時にコカ・コーラペプシ・コーラを何ケースも公共下水に流して『西洋文化を非難』していた。彼らの理論は少々理解に苦しむ。コークは西洋文化だ。だが、核爆弾はインド古来の伝統なのだろうか?
そうだ。聞いたことがあるー 核爆弾はヒンドゥー教最古の経典、ベーダに載っていると。そうかもしれない。でも、よく見てごらん、きっとコークのことも載っているよ。これがあらゆる宗教書のすばらしいところだ。載っていてほしいと思うものは何だって見つかるー 何を探しているのかさえわかっていれば。