前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

上海ドキュメント(1928年)

真夏日の夕刻に神田駿河台アテネ・フランセへ。開催中のロシア・ソビエト映画史縦断1908−1939から、1928年公開のヤコブ・ブリオフ監督『上海ドキュメント』を観る。54分モノクロ サイレント。
上海の港に外国の軍艦と地元のジャンク船が並ぶ、輸送船からは人力による石炭搬出など重苦しい作りもテンポが早い。当時の最新の映像技法が貧民労働者VSブルジョアプロパガンダに使われている。そんな素材には向いてそうにない道端の鍛冶屋などの露天商から多種多様な大道芸まで記録しているのも貴重。(こんな面白いのばっかり撮ってると粛清されるんじゃないかと勝手に心配する。)


紡績工場では幼い子供からすでに働いている、棒をかき回してカイコを茹でている子供のシーンと、金持ちがサロンで聴いている蓄音機の上で回るレコードの映像が短く対比される。あるいは少年達が引っ張る重い大八車の車輪との対比。狭い工場では机と床の狭い隙間に赤ん坊が寝かされている。マッチ工場でも白燐を吸う環境で長時間低賃金と紹介される。


有刺鉄線で囲われた外国人や中国人実業家の住む租界の優雅な暮らしと共に、当時の貧民の暮らしが記録されている。ラスト近くに労働組合ストライキ蜂起、それを鎮圧する国民党軍の蒋介石の短い演説ショット、首謀者数名の銃殺シーンと、説明もなく路上に転がる死体の数々が写っている。今回は失敗したが中国のプロレタリア達はあきらめない。といったラストで終わる。


ソ連上層部の広報戦略なのだろう、エイゼンシュタイン監督『ストライキ』(1924年)に大枠似た構図とラスト。
当時は映像の魔力があったのだろうけど、今観ると作り手側のあざとさが目立つ、当時の上海ロケという貴重な記録映像までがどこまで本物なのかと疑ってしまう。革命をめざす世界中の同胞への呼びかけとしても成立していない。『ストライキ』ほどの雑味はないけど。
ラスト近くの陰惨な映像は1927年に起きた『上海クーデター』と知る。