前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

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聖地ソロフキの悲劇〜ラーゲリの知られざる歴史をたどる

聖地ソロフキの悲劇―ラーゲリの知られざる歴史をたどる

聖地ソロフキの悲劇―ラーゲリの知られざる歴史をたどる

ソビエト時代になってから伝統的なロシア正教がどのように迫害を受けたのか、知りたくなって読み始める。
北極海バレンツ海の入り口にあたる白海に浮かぶソロフキことソロヴェツキー島の修道院は、歴史もさることながら受難の聖地と呼ぶべき存在。ロシア正教の聖職者たちの受難について言及もあるけど、本書の特色はソロフキがソビエト強制収容所と奴隷労働のシステム「ラーゲリ」がこの地で確立された経緯について紹介されているところ。


帝政ロシアツァーリの時代にも政治犯を遠方の強制収容所に送ることはしていたが、ソビエト政権では普通の市民を万単位でラーゲリに収容して、相互監視と恐怖による管理社会が硬直したまま維持していた。ラーゲリが膨張していった理由のひとつには、運河や鉄道建設など国家プロジェクトに必要不可欠な労働力の確保にあった。
本書によると、ひとりの囚人フレンケリによって「ラーゲリ理論」と運用システムが生み出され、革命から10年目には早くも囚人の矯正・再教育を形骸化して実行されていた。

(P86)
 彼が語った囚人労働の根本的な考えはこうだったという。
「囚人の力は最初の三ヶ月間で使い果たせばいい。仕事をする一日を刑期の二日または三日としてカウントするといえば、囚人は刑期の短縮を求めてすすんで危険な仕事をする。その間に一生懸命働かせ、くたばったあとは必要ない。囚人はいくらでも補充すればいいからだ。」


管轄は国家政治保安部(ゲペウ)のちのKGB、これが彼らの奴隷ビジネスになる。生産効率を上げるために労働の生産性に応じて囚人に配給する食料や生活条件が細かく規定された。