前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

天井の模様をながめていると

春一番からこの冬二度目の風邪をひく。働きながら悪化させ、咳が止まらず衰弱したまま病院に行く。問診で処方箋と点滴の診断をされる。
天井を見ながら、この前に点滴を受けたのはいつだったか思い出してみる。
降熱剤のほか栄養剤500ml.は針から二時間くらい掛かります、と言われたので映画一本分くらいの回想を。


最後に点滴を受けたのは92年インド旅マドラスの大きな病院だった。カルカッタですでに下痢に掛かって衰弱したまま列車の荷台で強行移動した結果の入院。世界中にインド系の医者は多いとはいえ、現地のレントゲン写真の機械は古い鋼鉄の塊だったり、ドクターが外人患者(俺)を診る偉い先生を演じようと弟子連をずらり見学させて、肛門に激痛を与えてくれたり。拙い英語しか話せない患者は、問答無用で恐ろしい目に遭った。
点滴が時々止まってしまうのを、夜勤の看護婦さんが微調整する動作と胸元が残像にある。
翌朝、強行に退院を主張して会計払って出た。なぜかレントゲン写真を封筒でくれた。
帰国するまでの道のりは遠かった。二度とインドに来ないという確信は二年と持たなかったが。


内科で入院したのは遠く遡って72〜73年小学一年生の冬、風邪からの肺炎だった。2週間、子供の感覚では1ヶ月以上。郷土愛の欠片も無いせいか病院の位置すら思い出せない。同じ号のテレビマガジンとテレビランドを買ってもらって喜んだ。退院後も時々通院しては待合室で読んだ漫画雑誌。紙面一杯に女体が踊る永井豪のマイナーな作品が強烈に覚えている。男子児童の共通体験か。