前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

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気違い知識人の世界紀行

きだみのる―自由になるためのメソッド

きだみのる―自由になるためのメソッド

戦後すぐに出版されて売れた奇抜な本『気違い部落周遊紀行』 の著者として知られる、きだみのる。この奇人の生涯80年の足跡に遺された膨大な著書を丹念に読み解き、時代ごとの意外な人間関係と言説を追う濃密な検証。


つかみはオッケーという軽薄な表現では甘すぎる、冒頭からのふたつの引用は至極暴力的で、文章に殴られる。
きだみのるを海外ルポルタージュ先行者として尊敬したという開高健が、50年代に定住していた農村を訪れた時のきだの生活は、豪放磊落で好意的な描写。一方で70年代晩年に編集者として付き合った嵐山光三郎の文章は、きだ長年の放浪癖の生活臭が眼と鼻を刺激する。文体のカリカチュアは大袈裟かと思いつつ、でもこれを抜いたら陰惨にしか伝わらないだろう。


きだみのる・本名山田吉彦明治28年奄美大島に生まれ、父の仕事の関係で鹿児島・統治中の台湾と多感な時期を過す。明治末に上京してから叔父の家から家出、札幌の教会でアテネ・フランセの創始者ジョセフ・コットに見い出される。その後きだの移転先までストーカーのように追われて青年期を【教育】される。語学教師としてフランス語ギリシャ語を詰め込まれ、知性を育む書籍を読み込ませ、反発しながらついには人生の指針まで誘導されていた。『疑うことを知る』
 獲得した自由の半分は苦痛かもしれないが。
昭和14年からの二度目のフランス渡航ではモロッコまで足を伸ばす。戦時中に出版された本名著での『モロッコ紀行』はそこでの体験と膨大な資料から書かれた。単なる旅行記ではなくモロッコイスラーム マグレブ史の紹介から先住民族ベルベル人の文化風俗と戦の神話、果ては恋愛の私小説まで織込まれている優れた奇書のよう。いずれ巨大図書館で読まないと。


きだ80歳の生涯を網羅する本のメインなのか、かなりのページを使ったモロッコ紀行の紹介でもあるけど、著者が食いついている箇所は興味を惹く。現地のフランス統治のノウハウを紹介しながら、日本の満州統治へ向けた指南書を呈している。当時の文人・知識人の立ち位置としては当然とも言えるが、そこを抜いた短縮本を岩波本モロッコとして戦後出している姿勢にも、未来の今だからこそ冷静に見て取れる。
それでもイスラム研究の先駆者として認知されてもよさそうな内容。戦時中に戦略的な共闘を狙ったのか、日本でちょっとした回教ブームが起きたという動きに右翼の知識人大川周明の名がある。(戦後にイスラーム文化を読み解く第一人者として知られる井筒俊彦が学生時代から独学で旧約聖書ヘブライ語からアラビア語へ習得する段階に、大川周明から高価な洋書を輸入してもらったり要人の通訳をしていたエピソードは井筒ご当人の対談本で知った。)きだみのる満州で甘粕理事長に呼ばれ面会したという話も紹介されていて色々な工作の逸話と繋がる。


ファーブル昆虫記の共同訳者、という職歴も意外。


パリではマルセル・モースの教室で民族学を学び、創成期の共同組合の運動家とも交流があったり、現地の多くの文化人と親交が多かったせいか、フランスの日本人社会ではきだスパイ説が流されムラ八分を受ける。帰国後は、野蛮な日本の地の辺縁で実地に暮らしながら古代ギリシャを読み解く。という無謀なライフワークを決めている。
戦後に定住、放浪を繰り返して農村・部落単位から見た日本の集落論は、確かに普遍性がある。紹介されている体験記も痛快とは別の感情が湧く。この辺は今も考えが纏まらず。排除の論理をかざしても、きだ自体の問題行為に機縁するし。外から村に来る左の啓蒙者/よそ者を追い返す行為もなんだか道化のよう。


(p207より引用)
きだの場合には、野生への志向もある。きだは文化の高度な洗練を好んだけれども、停滞を嫌った。彼は文化の正常な成長や成熟を植物に託して「高く伸びるためには、根は野蛮の底まで沈んでいなければならない」と語っている。


水面に美しく咲く蓮も根が泥に這っているという禅語を反転して連想させる。