演芸への遺言
- 作者: 小島貞二
- 出版社/メーカー: うなぎ書房
- 発売日: 2003/07
- メディア: 単行本
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戦中の植民地への芸能慰問団の始まり、昭和13年朝日新聞と吉本の企画「わらわし隊」は軍の「荒鷲隊」への駄洒落とのこと。
文人・画家・ジャーナリストで編成された海軍の宣撫組織に「横須賀海兵団」があって、兵長が流行歌手の霧島昇、メンバーに可憐な少女画で有名な中原淳一が居るのも驚く。う〜??
この前も別の本で書かれていた、古今亭志ん生と三遊亭圓生が終戦直後に慰問先の満州から帰れなくなっていた話でも、面白いエピソードが書かれていた。
志ん生は大連でバーをやっていた女性を、妻と偽って帰還船に乗せ一緒に帰って来たという。プチいい話みたいだけど、お酒の取引とか邪推・・・否それでこそ芸人。
人間国宝の五代目柳家小さんが少年兵だった時、二・二六事件の反乱軍に駆り出された話は有名でも、その後が満州国境警備〜除隊〜昭和18年再度の徴兵でサイゴンへ、終戦は北ベトナムからの帰還だったとこの本で知る。
住いが近いこともあって、何度か街で視掛けた芸人。先日弟子の鈴々舎馬風が語った師匠への思い出話で、カラオケは「座頭市」が十八番だったとか。間奏で弟子と殺陣のマネをしてはゴキゲンだったそう。嫌な渡世だな〜
小島貞二氏の自分史と共に、芸人・席亭・文人達との思い出が書き進まれていく。
演芸界に長く居たせいなのか、大変な時代までが柔らかく読める。
ただ一箇所手が留まったところあり。戦時中ひょんなことから「麻生鉱業」に就職し、インドネシアのセレベス島(スラウェシ)へ渡り、トンドンクーラの炭鉱へ着任して、間もなく敗戦をむかえている。
検索したらやはり「麻生鉱業」は九州筑豊の炭鉱会社。で当時の徴用で死亡した朝鮮人労働者の遺骨返還問題〜、後の麻生セメント。麻生太郎外務大臣の一族の持ち物だった。
もはや戦後ではない、だけどなんだか無限ループ。