前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

並列読みの中で読み返し中もあり、多幸感と凹みと繰り返し収集つかず。



協会のHPからメンバー各人のリンクあり http://www.jvja.net/


自分がパレスチナ問題を読み始めた広河隆一立松和平の『レバノン極私戦』84年刊)から20年を過ぎる。それでいて、今現在のパレスチナで毎日起きている犠牲とイスラエル軍レバノン市街攻撃を聴くと、何の力にもなれない(なろうとしなかった)自己嫌悪にもなる。アルジャジーラというあえて中立をうたわないメディアの存在は希望で、記事内容は苦痛でもある。


ふつうなら平和にじゃれあって生きてる人々に「同じ人間として戦地の人たちを助ける〜」という気持ちは長続きしない。日々のTVニュースで国際情勢を解ったつもりになる消費。でもそんな悲観では現状追認で生きるだけ。
この新書には、飲み込み易く短い文章と写真で13人のフォトジャーナリスト各人の仕事が紹介されている。


上記の本でも書かれていた病院のテラスで狙撃された子供たち、当時の重たい後日談をこの本で知る。
現地での無数の被害者と家族に、復讐の「愚かさ」を説くのは難しい。チェチェンの稿で何度もそう思う。
現地で救援活動する人は別として、平和な場所から都合よく「同情する」のも愚かだろう。
情が解るからこそ復讐の連鎖は続く。そう思えて仕方ない。