前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

考える脳 考えるコンピューター

アンテナ監視中の「人工無能は考える」での推薦本、『考える脳 考えるコンピューター』を週末に読んだ。webで検索しても広く読まれている本。モバイルコンピュータのソフト開発で著名なエンジニアが、ライフワークである脳科学への招待なるものが書かれている。自ら新皮質に偏愛していると告白しながら、持論を展開する。次の若い研究者を輩出しようとする狙いもあり、専門用語を廃した優しく丁寧な読み物になっている。


チューリングテストの落とし穴、コンピュータと脳の基本的な違いを例え話など織り交ぜてバッサリ書いているので、人工知能への夢想とは逆の立場かと思いきや、最終的には「あきらめない」楽観で締めている。


(日本版の出版社が何故か印刷を端折ってweb上に載せている「参考文献」にマインズ・アイ――コンピュータ時代の「心」と「私」(上・下刊)があった。やはり名著か。)




大脳新皮質の特性として、記憶からの呼び出し・予測と端折りパターン生成。情報の補完などが挙げられていて、言われてみれば「ああ、やっぱり」というもの。それでも未だ仮説という。
何度か同じ曲順で曲を聴くと、違う曲が流れる環境でもいつもの曲のフレーズが脳に流れて「あれ?」な感覚は誰でも経験があるだろう。先読み行為が違和感になるのが解る。同じリズムと同じ環境で一日を過す人も電車の乗り換えから歩く道順が考えなくても「自動化」されているのも、プログラムのテンプレートが自己生成されるから。これは今の学習型コンピュータでも『元形』が出来ないという。


情報の補完については視覚の本来見えない「はず」の死角が、しっかり補正されて視えている、など興味深い事例がある。「国際的な見地から俯瞰してみると」などという政治屋フレーズを連想する。低ビットレートの音楽データなどは、元のCDを聴いている場合には『記憶による高音質化』のような作業を知らずにしているのかもしれない。
民族音楽の楽器や、声質に厚みのあるボーカルなどは圧縮データでは苦しいものがあるし・・・。