前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

愉快な仲間がカイラス三周。

konton2005-08-12

愉が朝5時にコルラへ発つ。単独での夜明け前は犬の咆哮が凄いとか。こちらはのんびり9時起き。巡礼トラックが停まっている食堂へ入るとチョウ・ユンファ似の主人。チベットのモモがあると言うので頼んだら具のない饅頭とお粥が出てきた。漢人スタイルの朝食を摂る。ここでウイグルから水色のバスに同乗していた華僑の青年と再会。途中会った中国人グループで車をチャーターしてここまで来たという。ここの主人が北京語と身振りで「ここの連中は何も頼まずに休憩に来てはマニ車まわして・・・」というニュアンスの愚痴を彼らにこぼす。


隣に座っていた10歳くらいの少年がチベット語会話帳に興味を凝視しているので渡したら音読を始めた。チベット文字の文盲も多いと聞くが実際こういうのを見ると勝手な旅行者ながらホッとする。店の入り口では幼稚園児ぐらいの子供がキツイタバコを吸っている。
心境がささくれ立つ。終戦後の日本でもそうだったろうとか悪い言い訳を考える。


昼、お湯をバーナーで沸騰させ、コーヒーを飲む。
ツアー客を送り終わったチベタンの運転手がTさんとお話に寄る。英単語を覚えたがっていた。こちらは自分の名前をチベット文字で書いてもらったりして教え合う。
町の外で撮影を張っていた18時35分、愉が三度目のコルラから帰って来る。4500〜5500Mの高低さ1千メートルの51キロを三周してしまう強者。意思の強さも。
仏教徒にとっては三周が1セットらしいが、彼は信仰中心でもない、カイラスへ来たかった思いの強さ・・・・・・。
やつれてしまったが、すべてやり遂げた満足の表情。


夜、中華食堂で蛋炒飯。Y君の交渉で明日乗るバスのアジト?へ
顔見世と前金を払いに行く。前金100元、後金300でシガツェまで乗ることに。外人を乗せる事には運転手仲間への遠慮があるのだろう。桁違いの料金を払ってランクル使うのが西チベットの常識なのだ。今になってみると悪路は当然バスに向いていない、苦労の対価としてランクルは正しい選択かも。