前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

原発危機と「東大話法」〜傍観者の論理・欺瞞の言語

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

本の誠実な内容紹介ではなく、建設的でもない雑感ですが。
言いっ放しよりはコメントでの異論歓迎です。
著者の指摘で特に腑に落ちた文章。
今の現代日本社会は「立場主義社会」と評し、鈴木達治郎原子力委員会委員長代理の発言「我々の仕事は原子力の推進であって、安全ではない」と一例を紹介している項。


3・11以降は特に不快な(彼らの社会的な影響力を認めたくない)有名人のふたり、精神科医香山リカ、経済学者の池田信夫の文章を、東大教授である著者が主張する「東大話法」論法を当てはめていく・・・という目眩のする作業を読みながら、やはり著者側の文章にもズレを感じる。自分の感じている彼らの文章に対する強い不信・欺瞞への怒りを収める器がみつからない。論理のすり替えや話術のずらし方に特に目新しい高等な技術はない。むしろ対話すら出来ない日本の論客の幼児性が洗い出されたというべき。


一昔前に、お役所の言葉の言い換えを揶揄した本が話題になった事があった。その後はエセ知識人の冷笑主義でネタとして収まり、役所の作成する本質を煙に巻くテキストは今も変わらない。
3・11前でも東大の学者たちへの信頼など一般の人にはあまり無かったと思う、中身のない単純な最高学府のブランド信仰は確実にあったし、日本の科学技術への安全性での盲信もあった。
 巨大な公害訴訟を引き延ばしたり、地震活断層上にある原発立地に企業・政府側の御用学者「専門家の意見」として法廷に立ち、司法の場でことごとく原告敗訴を導いて来た役割として社会的な罪は重いと思う。大手マスコミを含めた様々な組織が、何でも権力のせいにする古くて無垢な市民運動が、危険性を知っているのに検証・話し合いすら放棄した積み重ねの上で、必然的に広範囲の放射能汚染という人類への過失犯罪は行われ、今も更生の見込みもないまま同じ役(キャラ)を演じ居座り続いている。


それをエセ知識人は大好物な日本人論にすり替えて他人事のように笑う。いつまでも同好の士と向い合って毛づくろいする様な知識の使い方は残念。(って、かなりDISってる駄文だなと書いてて気付く)


今まで巨額を費やして喧伝し続けた、原発の安全という絵空事が通用しないということを、この期に及んでも認めたらがらない、3・11以前と同じ暮らしが続けらると信じて疑わない「言論人」は異常に多い。原発事故の当たり前に起きる心配を「心的トラウマやヒステリー」などと診断する人間は、前向きに生きることと虚勢を張ることをすり替えては悦に入る。「未曾有の天災が原因なのだから悪者探しをするな」という、一見物分りのよさそうな弁は、事故が日本社会の組織的欠陥と現場の人的ミスで起こされた事実を決して認めない。地道な努力と忍耐の要る客観視を、傍観者のポーズでショートカットする「知的」な人々。
日本の戦後処理をごにょごにょにして来た末裔である我々が更生する最後のチャンスに、保身ノススメなど要らない。