前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

いわきは安全なのか

せっかちで親切な叔父さんの車で回った14年振りのいわき。 
 父方のお寺の墓地の墓石が数多く倒れていた。被害が多い海岸の町へは行かなかった。親戚の話を聞くと沿岸部に住んでいた友人や仕事仲間が行方不明とのこと。車や建物丸ごと波にさらわれたので遺体はなかなか浮いて来ないかもしれない。子供の頃に親戚中で海水浴を楽しんだ近所の小さな港町も・・・。


いわき市は沿岸と平野と山間部と、だだ〜っ広い。町から遠く水場も遠い支援物資も届かない人々の暮らしは孤立して、今も深刻と聞く。市街地の早い復興をアピールしたい人が、いわきはもう大丈夫と言ってしまうのは危うい。水道の復旧は50%と進んではいるけど、同じ地区でも出ない所がマダラに残っているし一度出ても断水することがある。
町中の古い道路は隆起と亀裂が入って、道路補修、鉄道軌道の作業員をあちこちで見かける。震災直後から野ざらしの特急車両も汚れて留まっていた。
民家や店舗の床や壁にも深い亀裂が入っている。それでもいわきで暮らして行こうとする人々は、工夫しながら日常生活と仕事を続けている。


日中は車で注意深く走るところも多いけど、これは車社会の為に移動の選択肢が無いから。売り切れ続出と聞いた自転車が走ってるのもあまり見掛けない。健気な手書きの復興スローガンを貼ってるお店の並ぶ道から見ると、建物の損壊も少ないように錯覚する、コンビニも機能しているので外から来た人間には被害の深刻さは見え難いだろう。


原発炉心融解の報道で、一旦は自主避難した人達もその後政府の30キロ圏ギリギリ外まで戻って来ている。今更政府や東電を信じてる人は少ないけど、地元でまた頑張って生きていこうと心に決めた人達に、外から来た人間が汚染の中長期的な人体への危険性を伝えるのは難しい。中高年の場合は住み慣れた土地を離れたくない気持ちが強いし、危険性を言葉で説明しても自分たちに都合の悪い「当たらない予言」にしか聞こえない。原子力安全神話が崩れても、危険を語れば「心配性」にすり替えられるのは震災後の今も変わらない。マスクしてるくせに(笑)。


会社再開の命令や子供の学校の新学期で仕方なく戻って来た人達もいる。子供だけでも疎開させられないかと言えば、部外者が何を勝手にと返されるだろう。いわきが安全と思いたい為だけに原発から遠いはずの北東の町と比べて値が低いのをくちにするけど、出来の悪い冗談としか思えない、大気は季節ごとに風向きも変わる。政府の示した30キロ圏外でも長く留まるのは安全を保証できない。


政府の記者会見通り「ただちに」健康に被害は出ない見えないけど、「ヒステリックな不安デマを撒くな」と言う人達は、半年〜数年後に子供たちの多くに病状が出てきた時には、「これも織り込み済み。自己責任」と言うだろう。持ちうる知識を他人を侮蔑する事に専念する選民意識と、残忍な予定調和に遊ぶ者は幸いである。
送電線の電力ロスを度外視して東京から250キロ先に原発を造った理由がハッキリした。
保身ばかりの専門家と似非知識人と記者クラブの長年の加担は大きい。