第10回チベットの歴史と文化学習会
文京区民センターで今回は夜の回。仕事帰りで30分遅刻して入場したら、ほぼ満員。
シベリアの遊牧民ブリヤートが近年までブリヤート・モンゴルと呼ばれていた事を知る。言語もかなり通じるらしい。そしてチベット仏教圏は彼らの住むシベリアにも到達している事を知る。今はロシア領の自治共和国になっているカルムイクとトゥバも悲惨な近現代史を超えて、今は仏教文化の復建にチカラを入れているとのこと。
トゥバといえばホーミーのCDを持ってるけど、そこからチベット仏教までには想像が届かなかった。
チベット仏教圏の広さには驚く。西はラダック、東はモンゴル、北はシベリアと。
20世紀を跨いだ大国、英・清・露の覇権に翻弄されたチベット、ダライ・ラマ13世に仕えたブリヤート出身のドルジーエフの足跡を辿る、紹介された文献の一端から当時の情報戦の危うさも知れて・・・
当然ながら現地の状況は刻々と変わっているとのこと。
先日、http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/101102.html【天国のおかあさんへ 青海大地震 孤児たちの疎開学校〜 】を見たばかりだったので、今回の話で玉樹に戻った子供たちの置かれている状況を想像する。
会の終わりに、チベット国内で幼稚園から小中学校まで教育の現場で漢語に切り替えてしまう方針が中国当局で決められた問題にも触れられた。ラサでは先行して実施されているとのこと。ウイグルでは2004〜5年から。
自治区を騙りながら民族の言葉を奪うという暴力、中国政府にどう抗議すれば有効なのか悩むところ。