前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

大東亜戦争と日本映画  立見の戦中映画論
櫻本富雄 著
著者は1933年生まれで終戦時は12歳くらい。この本は当時の作品紹介と業界再編、映画雑誌から封切り作品への批評を集めて列記しているのが面白い。有名な批評家たちなのか知らないけどかなり辛口なものばかり。
戦時下での映画会社への生フィルム配給はもちろん、太平洋戦争突入前後からの全国の上映館の統合と階層化、当時のハプニングなど詳しく記している。


真珠湾攻撃の一年前にあたる1940年12月、内閣情報部が情報局に独立して、映画の行政機関は文部省から情報局第五部映画課に移管された。映画の検閲と国策映画の製作に関わるようになる。そこから生まれた国民映画普及会は映画館が興行しない午前中の時間を利用して、教師が引率する国民学校、中学校、女学校の生徒達の集団映画鑑賞が定着したという。
昭和17年(1942)『ハワイ・マレー沖海戦』の東京での上映から全国的な組織になった。


文部省推薦映画にもなったスパイに注意!な啓蒙サスペンス映画『開戦の前夜』は『間諜未だ死せず』『第五列の恐怖』『あなたは狙われている』と4本も防諜映画があった。
この頃の作品はタイトルだけで妄想が膨らむ。


昭和19年制作の隣町喜劇風な『モンペさん』は婦人倶楽部に連載された原作で女優の月丘夢路が主演。ポスターのコピーがおもしろい。


隣組を愉しく
明るくする
決戦型の
明朗お嬢さん
モンペさん


決戦型の明朗お嬢さんって・・・アキバ系の元祖かと思ったら、もうなんでも決戦と付けるのは日常だった模様。著者が巡回映画で観たという国産長編アニメ『桃太郎・海の神兵』は終戦間際の作品でも、5本立て『マンガ映画決戦大会』などは戦後の『東映マンガ祭り』っぽい。戦時下でもミッキーマウスのオリジナル映画が一緒に上映されていたらしい。
巡回映画・移動映写会では、満蒙開拓団を描いた『大日向村』(昭和15年制作)などの上映が各地方で行なわれた事は、その後の効果が興味深い。

あまりお目にかかれない同時代の朝鮮映画(半島映画)の記述もあった。


この本は93年に青木書店から出版。現在は生き証人は減っている一方で、また当時の映像資料の研究が進んでいると思われる。