前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

植民地の図書館

遺された蔵書―満鉄図書館・海外日本図書館の歴史
岡村敬二:著 阿吽社94年刊


先日読んだ【戦時下花嫁が見た「外地」旅順からの手紙】図書館通いの手紙から、当時の図書館を空想したりしてたところ、複数検索で格好の良書に出会った。


明治末の満鉄調査部から始まる旧満州での図書館の歴史と蔵書研究の変遷を資料を通して記されている。と書くと事務的だけど、「戦時下中国の接収資料について」では広く中国各地での日本軍の戦禍や略奪で、各地にあった図書館の蔵書は壊滅的な被害を受けたり、疎開先で数奇な運命をたどっていて情動を揺さぶられる。焚書か接収・横流しという国家と個人の略奪の繰り返し。先進国とか戦勝国の国の博物館や書庫はいろんな意味で呪われていると再認識もする。
この本で当時の書籍蒐集や図書館関連のシステムを作り上げた方々の名を複数知る。


有名な昭和流行歌手の東海林太郎も満鉄の撫順図書館長(大正13年度資料で蔵書は約11万冊の規模)だった事や、巷の「図書館」移動=左遷という表現にも疑問を提示していて、強く同意する。しかし、当時の満州での図書館業務は大変そう(あたりまえ)。接収した漢語文献に詳しい漢人スタッフが、生意気な日本人リーダーに指示されたりして職場の雰囲気は険悪だろうし。敗戦直後の混乱期に起こったソ連軍の略奪や破壊から、現地民と協力して蔵書を守ったり奔走する図書館員も多く記されている。


京本や 往来87号←巻頭文で興味深い著者の後日談が読めマス。


ネット公開されている関連の論文【満鉄図書館と大佐三四五】PDFファイルを読むと、満鉄調査部は当時の図書館員に格段の技能を要求していて、20名以上も長期の米国留学で最新の図書館学を学ばせている。様々な戦略の資料室として図書館を活用したかった満鉄ブレーンと、広く民間人(読書人)へのサービス提供を模索したグループとはその後対立してしまう。
しかし敗戦後は日本の大きな図書館でその人材は活用されたそう。