前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

犠牲者数でレベルアップ

先週に石光真清の手記【望郷の歌―石光真清の手記 3 (中公文庫 (い16-3))日露戦争での記録を読んでから、ずっと頭の中のモヤが取れない。ロシア軍陣地への無謀な突撃命令と友軍の屍を超えてなお撃たれ全滅報告が続く。戦地に転がる死体の破れた軍服からは、白い紙片がちぎれて風に舞う。それは内地の家族からの手紙。
著者はこの惨状に苦しみながらも奥司令官からの命令を肯定してとらえている。内地から送られた新聞の浮田和民の文(軍の優秀な人材が大量に犠牲になっている批判)に憤慨して反論の手紙を送っているところなど、戦地ではこの論説に賛成派が多かった事も記している。(法学博士の浮田和民は従兄にあたり、著者の姉は故橋本龍太郎の祖母。)


後に軍神と崇められた「橘中佐」とも軍の幼年学校からの付き合いで、冗談も通じない人格者として書かれている。軍神の伝説とは戦死の状況は違うと思うけど、この後に「神話」は生まれたばかりの映画産業の観客動員数に貢献したり、話芸が創られ大いにもて囃された。


民草は身近なひとの死すら娯楽にする残虐性をもつのか。
最近、遠い学生時代に無理やり見せられた英国製の映画「ガンジー」のワンシーンを思い出す。ガンジーの非暴力無抵抗に共感した大衆の群れが、イギリス軍に撃たれても撃たれても進んでいく(事実は知らないけど)。平和の思想へ疑いを持った最初がコレかもしれない。これじゃ突撃玉砕を賛美する愛国派と何の違いも無いだろうに。