前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

戦争・ラジオ・記憶

戦争・ラジオ・記憶

戦争・ラジオ・記憶

ここ数年で進んでいる戦時下メディア研究を紹介した共著。主に太平洋戦争前後の東アジア各国のラジオメディアについて。巻末には資料研究に役立つ施設の紹介もあり。読み終わると課題図書数冊とアーカイブ施設行脚の宿題を背負う。ラジオが大砲で番組が砲弾なら、この書籍は対人地雷を撒く親爆弾かも(ぶっそう表現)。


以下、私見混じりのメモ。毎度なんの参考にならずに御免。


■第一部 戦争とラジオ


第五章 「中国奥地の日本人捕虜と日本語放送」 貴志俊彦
80年代に日中合作ドラマ「望郷之星 長谷川テルの青春」が作られてた事を知る。
1945年6/11〜 10/8までの昆明中央広播電台の日本語放送番組表が載っている。
先日読んだ「姿なき尖兵 日中ラジオ戦史」福田敏之著を、向こう側から捉えているのもありがたい。
季刊戦争責任研究 21号の特集「日中戦争期、中国における日本人の反戦活動」にも八路軍や新四軍の捕虜から対日本軍向け宣伝に参加した、日中の当事者たち(90歳台)の貴重なインタビューや写真が載っていた。
第六章 「中華民国の『抗戦教育』とラジオ・映画 」 貴志俊彦
中国大陸での電化教育の歴史は民国時代から、雲南チベットなど少数民族の居留区でも中央からの指導や教育を目的にしたラジオ受信機の贈与・映画上映会や宣伝隊の活動があった。


■第二部 ラジオと「帝国」
第一章 満洲国とラジオ  川島真
1934年から新京で日本語放送が始まり、36年には第二放送開始(満州語
1935年(建国3年目)に行なわれた「満州ラジオ調査」アンケートが面白い。日本人の回答は、好きなもの一位「浪花節」・嫌いなもの一位「満州演芸」とか。38年には満人嗜好調査(312名回答)が行なわれ、番組一位が教養ジャンルの講演・講座。二位が話劇。相声(漫才)十位との結果。アンケート対象者が親日派(を装う)インテリに偏っていたと未来から邪推する。

(P125より)
街に出ても商店・料理屋・カフェーなどでラジオを持っていないところはないと言っていい。いつもスイッチをいれっぱなしである。彼等は日本の声がしないと淋しいのであろう。人々は皆日本の和服を着、日本の料理を食い、日本のニュースや音楽を聴いている。だから家の中に居ると故郷を去る5千里も離れている辺境の気分は見たくて見られない。

日々、日本発のニュースから、移民者から内地の故郷へ「成功」報告や、満州と内地の小学校を結んだ番組もあった。内地に住む日本人の大陸熱を煽ったと思う。昭和11年1月元日の大連放送(JQAK)番組表が載っている。特別番組ばかりなので、平日の番組表が見てみたい。


第二章 ラジオ放送と植民地台湾の大衆文化  李承機
メーカー製の高価なラジオ機よりも、自作鉱石ラジオを作る名人が各地に出現した話とか、大衆が面白くないラジオ放送を聴かずに、台湾語流行歌をレコード産業と共に創りあげた経緯について。


第四章 朝鮮でラジオは何を教えたのか 上田崇仁
当時の国語(日本語を指す)講座のシラバスなど。
第一課の例文が禁止語と命令語なのが・・・