前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

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尋ね人の時間

「姿なき尖兵 日中ラジオ戦史」福田敏之著  丸山学芸図書93年刊

日中戦争に伴って昭和13年に日本から中国派遣軍「報道部放送班」に、後に傀儡政権の中国広播協会へに配属されたラジオ関係者の敗戦から引き揚げまでの記録。


冒頭には日中戦争直前の上海のラジオ放送事情が書かれていて面白い。乱立していた各ラジオ放送局の名称と当時の所在地まで記している。欧米列強のプロパガンダ放送局から、通りの奥にある家族経営のラジオ局(父親が技術担当で娘がアナウンサーとか)まで。ドイツが降伏すると日本が放送局を接収したとか、日本が降伏した直後のゴタゴタまで〜


仕事は前線での軍への娯楽と占領地で現地民へ日本の宣伝や懐柔を目的としていた。素人のど自慢の先駆け番組や、陸軍・海軍それぞれのディスクジョッキー事始なども興味深い。日中戦争の拡大と共に上海→宜昌→漢口→と軍と共に西へ移動して前線で放送の仕事をしている。 宣伝合戦の内輪話も壮絶だけど、蒋介石の軍が退いて臨時政府をもった重慶への爆撃機の攻撃作戦(市街地への無差別爆撃)にはラジオ放送が進路を誘導した話などは、・・・。パイロットの安全を願いながらレコードを交代でかけ続けたという姿勢と職場の一体感など、これが当たり前だったのだろうけど。ヒロシマナガサキは儀式的に語り継がれても、旧日本軍側が爆撃した記録はほとんど表に出ない差は、大衆が求めるような「ものがたり」が足りないからかな。


読んでいて複雑な心境になるのは、自分の祖父が通信兵として昭和12年の年末から18年に戦死するまで、おおよそ同じ地域を転戦していたからだろう(上陸と戦死の場所しか知らないけど)。戦争体験記本は著者の思い出の世界に息苦しくなって途中で読むのを断念する本も多いけど、これは放送史として貴重だと思える。中華民国軍側の対日厭戦放送に係わっていた日本人の中に長谷川照子(緑川英子)女史が居る。死後に中共から抗日戦の英雄扱いされてるけど、活動した内容は知らなかった。当時の厭戦放送の芸風はこの本の記述から少し感じることができた。
戦死した祖父も聴いてたのかなと。