前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

ウイグル料理繁盛記

移動する新疆ウイグル人と中国社会―都市を結ぶダイナミズム』李天国(著)2000年ハーベスト社刊
90年代の研究論文から増強した、ウルムチ・北京・広東のウイグル人地区での動態を調べたフィールドワーク本。著者はこの関連を長く調べている。
密集した料理店のオーナーへのインタビューにも成功していて、千差万別、とても面白い。都市再開発で壊される直前の記録としても貴重。自慢話も含めて時流に賭ける商人の流れも興味津々。途中トヨタ財団から助成金を受けた学術研究なのでタイトルなどは硬い。


新疆ウイグル自治区ウルムチ、現在は高層建築も建つ縦長の人口密集地も、漢人が半数を占める街自体の歴史は浅い。ウルムチ鉄道駅の東、「南梁地区」に12.5%のウイグル人が集中して住む。二道橋バザールが未だ取り壊しされる直前の聴き取り調査。ここでの商人達への話でウイグル各地の郷土からウルムチを起点に、時流に合わせて中央アジアの国々〜南は広東・香港まで広く商人の動きが、当事者達の口から語られる。


北京では新疆政府駐北京弁事処がある海淀区、北京動物園を挟んで北に①「魏公村新疆村」と南に②「甘家口新疆村」に集中してウイグル人の商店が密集している。シシカバブ北京市内の露天で売っていた時期に、漢族との感情的対立が起きてこの地区のみでの営業を許可する経緯は、ウイグル街のまとめ役からのインタビューから知る。薬物・賭博の問題も表面化したりして評判が落ち、都市開発取り壊しの直前取材でもある。
97年調べで①②合計でウイグル料理屋が50件在った。ここではオーナーと従業員から聴き取り取材をしている。80年代後半にウイグル料理屋が繁盛し、街の規模が大きくなるにしたがって、同じイスラム教徒の回民が住む牛街との羊肉などの食材取引、モスクへの礼拝など協力関係が強くなった。①はウイグル料理店のほかに各民族料理屋が多く、オーナーは北疆出身者が、②のオーナーはカシュガルのエジサ県出身が7人と多く、南疆出身者が多い。オーナーは同郷の従業員を使う傾向があり、お客もクチコミで同郷の店へ行く。漢人の従業員は四川省出身者が多い。


広東の広花路、抗英記念碑向かいにある三元里地区に、ウイグル人の商店が密集している。元々は現地の漢人社会がウイグル人への強い差別を持ち、この地区の旅館のみに新疆人を宿泊させる行政の方針から「囲い込み」が生まれた。ここでも92〜93年に行政の地区取り壊しが行なわれている。ここでの最後の取材は90年代後半、在広東のウイグル人警察官のグループによる共同経営「高級料理店」が出店されたところまで。既得権益・・・・