前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

真相はかうだ

ラジオの時代―ラジオは茶の間の主役だった

ラジオの時代―ラジオは茶の間の主役だった

昔はよかった本ではない。メディア研究・日本のラジオという歴史本。
大正末期からのラジオドラマの人気や、野球中継の変遷、生中継が出来ないオリンピック競技での「実感実況」も面白く。






大正14年三月、東京放送仮放送開始から〜速報性で劣る新聞業界に初めから配慮したラジオ局の設立だったり、開局と共に広く手作りラヂオフアンが大勢居たことは、他のメディアとの違いを感じる。蓄音機を自作する話はあまり聞いた事がないのでラジオ〜元祖オーディオマニアになるのか。関東大震災の当時にもしラジオが間に合ったなら風評による被害は防げたのでは?という切実な動機も開設側にはあったという。


初期は大正天皇の病状悪化で分刻みの体調アナウンスをしている。昭和天皇崩御前のテレビ中継された異様な病状報道には前例があった。崩御後の番組自粛までとても似ている。
三年後昭和天皇即位の礼にあわせて日本列島の地方キー局全国ネットは整備されている。


そのふたつの国家行事の間ラジオ受信契約集数は3%〜4.7%になったのみ。ただ、これはスピーカー付きの市販品の持ち家ではないかと思う。高価なラジオを持つ事は金持ちの証なのか、大葬の礼での放送では「沿道付近のラウドスピーカーを戸外に窓から外へ向けて聲が出ないやう厳に〜」と注意がなされた。


終戦から間もない11月放送の座談会「天皇制について」は画期的だと思う。天皇制を維持・一部見直し・廃止という3人の論客の中に、思想犯として18年も獄中に居た共産党徳田球一を出演させている。終戦直後GHQの占領方針がこれほど優しかったのも驚く。こちら側の世界が反共へシフトする前の空白の時期だった、といってしまえばミモフタも無い。廃止論者を電波にのせるのは21世紀の今でも呪縛は強い。



昭和20年終戦の年末から放送された、占領軍(おもにG3)による番組「真相はこうだ」全9回のタイトルから後番組への流れまで詳細に書かれている。この番組への当時の聴取者からの抗議と批判はおおよそ理解できる。日本人が日本人に戦時中の大本営がいかに嘘八百だったかを教え諭す「洗脳を解く」番組でも、向こうの作り方で大仰な効果音と畳み掛けるような物言いだと、敗戦国の国民には侮辱以上のものだったはず。怒ると更に腹が減るから自制したのかもしれぬ。敗戦後の全国巡幸地で昭和天皇が各地で「あ、そ」と甲高い声で繰り返しするのを聴かされるのも・・・・