前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

本のNHKアーカイブス

テレビは戦争をどう描いてきたか 映像と記憶のアーカイブス

テレビは戦争をどう描いてきたか 映像と記憶のアーカイブス

「テレビは戦争をどう描いてきたか」はNHK現役プロデューサーが、50年近い歴史のテレビドキュメンタリー番組作品から70本程度を系統立てて、2005年現時点で見直す試み。取り上げられている作品の説明も、当然今現在の視点を織り交ぜて書いてある。

時代区分の分類は4つになっている。


(1958〜1964年)
戦後GHQ占領軍が撤退してからの、元兵士達が語り始めるドラマ形式。


(1965〜1979年)
冷戦とベトナム戦争反戦運動を含めたアジアからの視点を取り入れた作品。


(1980〜1990年)
第二冷戦期、ソ連アフガン侵攻と日米同盟の強化のなか、戦時中の公文書公開から新たな事実を検証する作品。


(1990〜2005年)
冷戦後の東側からの公文書公開、私人の日記が公開されるようになって、新事実を組んだ作品。


各章の構成は時代区分では括らない書き方になっている。
たとえば、傷痍軍人のドキュメンタリー「断端〜元傷病兵16人の戦後」(72年)の対比として、このNHKの作品より遡って大島渚監督の「忘れられた皇軍」(64年)民放放送の内容を詳しく紹介している。東京オリンピック前年に補償の貰えない在日韓国人傷痍軍人を扱った番組を放映する尖り様。後に政府は彼らの帰化で解決しようとしたとのこと。


「原爆を落とした男たち〜56年目の告白〜」(2001年)ではB29の機長をはじめ数人のクルーが投下40日後の長崎に降りて被害地を視て廻っている。予定の爆心地を逸れた事が気がかりで、被害者に言及は無い。これ以前の番組では大凡の日本人が彼らに良心の呵責を問い質すあまり、正常な人間ではない=戦争がそうさせた、という定型文を当てはめる。
「現代史スクープドキュメント 七三一細菌戦部隊(前・後編)」(92年)旧満州で行なった731部隊の細菌の効果を調べる人体解剖で、戦後に免責と引き換えに実験データを所得した米国ダグウェイ生物戦研究所の調査報告で「このような情報は、われわれ自身の研究所では得ることができなかった。なぜなら良心の呵責があるから」という文章にあきれ返る。


忠魂碑をめぐる戦中・戦後・占領後と日本の農村での人々が振舞う狡猾さに疑問をもったり、帰還兵士の被害者意識ばかりでアジアの無数の犠牲者への感覚が希薄とか、その書き方は『戦争を伝える』立ち位置からは正論でも、なにか社交辞令な感もある。この辺の伝わらない悩みは製作者側が強く持っていると思われるし、この本の執筆の動機の一つだと推測もする。この終わりの無い対話と論争も幾つかの作品で記録されてはいる。当然ながら、未来からの審判という歪みはくれぐれも忘れぬよう。
当時の社会認識と捉え方『描かれ方』を今の立ち位置から検証している、この検証が近い未来にどう変化するのか、と拙いフィルターをかけて読む。巻末に主な作品年表がある。そこにNHKアーカイブスの端末で現在公開されている作品かどうかを記してほしかった。本来ならば実際に視て作品ごとに感想を書くべきものかとも。
(後記)まともに踏み込んだpalopさんの感想日記⇒id:palop:20061012


ETV2001「シリーズ 戦争をどう裁くか 第二回〜問われる戦時制暴力〜」で慰安婦問題を検閲されたと報じられた事件も書かれていて、2000年12月に東京で開催されたという「女性国際法廷」で女性裁判官が昭和天皇戦争犯罪に有罪を下す、というシーンも削除になったとされている。有力代議士の番組放送への圧力ばかりが伝えられたなかで、主催者側の名前を知る。この市民団体の組成について本書では記述がない。検索すると謀略論と誹謗中傷ばかりが上位にヒットする。この(サヨク北朝鮮親派)など幼稚な流言は軽く聞き流しても、「言論弾圧」だけではない背景を漠然と知る。
ノーカット版を見てない自分の勝手な言い分として、制作側も検閲側も番組への思惑がいろんな意味で怪しい(怪しくない番組など無いけど)。不当な権力に『表現の自由を奪われた』的報道にはそのまま受け取らないよう注意、ということか。個人的に一番恐れる事は巷から放送局までの、漠然とした思いやりという「自主規制」。
私は貝にはなれない。砂を吐くのみ。貝じゃないかよ。