前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

「大東亜民俗学」の虚実

『「大東亜民俗学」の虚実』川村湊(著) 講談社メチエ80 96年刊


表紙に書いてある通り、植民地を持っていた当時の日本を中心にした民俗学を『柳田批判の視点から跡付け問いなおす』本。多作のひとで「満州鉄道まぼろし旅行」もある。
自分は民俗学への知識も浅いので、柳田国男と関係者の著者の検証と批判を通して、当時の様々な事情を知る。


「大東亜民俗学」の虚実 (講談社選書メチエ)


日本の朝鮮統治時代にされた「朝鮮史」編纂での経緯で、約二千年前の檀君神話を知る。後の北朝鮮で墳墓を発見捏造しているほど、民族の源流なる素材を日本の植民地時代に否定して刺激してしまったらしい。江戸中期からの国学に似て、自国内にある中国文化の否定も日韓の「固有の文化」捏造に共通している。
初期に朝鮮の民俗学に貢献したひとが、日本人の駐在警官というのも、統治を目的とした研究に寄る。当時の日本でも悪しき迷信や風俗が豊かにあったはずなのに、植民地でのそれらは劣等民族の証明と摘発・除去になっている。


台湾を占領し原住民の教化に勤めた日本人達は、宣教師に似て『文明を教えてやる』風な使命感があった。初期の混乱では相当数の犠牲者が双方に出て、やがて各地の駐在所の警官が機能し支配始めて行く。統治が安定したと思えた時期に起きた霧社事件で日本人の村を襲った原住民達、日本人の「恐怖」は彼らへの無理解と直結している。(読みながら二ユース報道でのイスラム原理主義と重ねてしまう)
鹿野忠雄などフィールドワークの研究者が彼ら蕃人に理解を示す当時の記述も紹介されている。それすらも今の立ち位置から希望を含めてそう見えるのかもしれない。本書では小林鐵と書かれている小泉鐵は白樺派からの文人で、民俗研究の著述には、幕末にアイヌを擁護した松浦武四郎のような共感が感じられる。


南洋の民俗学で紹介されている人々には自称冒険家を前座に、柳田国男の弟「松岡静男」や、パラオから奈良の天理教へ留学した「エラケツ・アテム」君が居る。前者は兄との関係を読み解き、後者は南洋の口承民話の先駆けとして書かれている。


満州での民俗研究は建国大学にドイツ語講師として召還された大間地篤三を中心に語られている。朝鮮での歴史編纂に係わった「崔南善」も教授陣に居る。民族学講師としては大山彦一。『満州民族学会』をつくり、専門家が少ない出入りが激しい様子が書かれている。学問としては未遂の模様。大間知は満州各地のシャーマン文化を5年間で20回もの現地調査をしている。
日本の支配を見越した特務機関と民族学の「西北研究所」紹介もされている。ウイグルチベットへの民族研究と潜入調査は軍の意向でもあった。


なんだか多言語翻訳大国「ニッポン」の源流を見た気がする。