前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

三題

いつも考えが纏まらないけど、読んだ本を記しておく。


静かな大地―松浦武四郎とアイヌ民族 (同時代ライブラリー (162))』花崎皋平著
基本的に幕末の松浦武四郎の残した旅の記録と、資料を調べて歩く現代の旅が交互に書かれている。北大の教授だった著者の70年代からのアイヌ社会との関わりから、80年代からのアジア先住民と多国籍企業誘致・米軍基地問題との繋ぎ方。北海道内のアイヌ文化復興でのなかなか纏まらない動きなど、自己を含めた内外の矛盾を随分率直に記録している。


現北海道〜千島〜樺太までの先住民アイヌを奴隷にした、当時の和人を批判し奔走した松浦武四郎。当時ロシア帝国の南進に危惧した彼の皇国史観が「アイヌの保護」側に就いた事実も一部認めてもいる。アイヌを日本人側に就けて帰俗・帰化させる、それを大前提としているので、当然アイヌからの批判もある。実際優秀な人材を帰俗させようとして、嫌がられる当時の記録も松浦武四郎の文献から紹介されている。


著者自らの立ち位置と、異論になる現在の主張まで紹介するのは、古い書籍との違いかと思う。



エゾの歴史―北の人びとと「日本」 (講談社選書メチエ)』海保嶺夫著
前半は平安から鎌倉までの東北エゾを文献資料から推論、平泉文化から安東氏の出現まで。エゾ・エミシの由来と断定は難しい事など。後半は松前藩の前身、安東〜蠣崎の資料と推論。文献に現れる当時の北海道が南北(日の本・唐子)に分かれていることや、本州北端の渡党との関係を説明。樺太アイヌは元の時代に「元史」「元分類」で骨嵬(kuwei)と呼ばれ、現中国東北部で40年に渡って元と戦っている記述に、疑問を投げかける。「骨嵬」はシベリアの先住民達の連合ではないかと推論している。この他にも江戸時代に現北海道で起きるアイヌの蜂起には、彼らとの自由な交易を求めた和人達も協力したと考えられる、など充分説得力がある。


この本の特徴は、素人・在野の学者への安直な蝦夷論への感情的な批判が多く書かれていること。その分断定と文献への感情移入を必要としていない。



放送中止事件50年―テレビは何を伝えることを拒んだか (メディア総研ブックレット)

1972年3月18日 朝日放送
アイヌの酋長の娘が、北海道から連れ去られたアイヌの神様・カムイのクマの子を取り戻すため、名前を変えて東京の運送店の女中になり、さまざまな事件を巻き起こすというストーリーのドラマ『お荷物小荷物・カムイ編』(作・佐々木守)について、アイヌ人の差別撤廃運動と取り組んでいるウタリ協会が地元の北海道放送に対し、「制作態度が興味本位であり、アイヌに対する偏見を生む」と抗議。放送局側の最初の回答を不満としてウタリ協会は放送の即時中止と、制作局の朝日放送および作者の謝罪文を要求した。結局「カムイ編」の放送を中止し、次回に予定していた番組を繰り上げて放送。北海道放送は「アイヌ人に対する配慮を欠いた」むねの謝罪文をウタリ協会に手渡した。

熊送りの儀式は今でも偏見が多い。未来から指摘するのもアレだけど、番組を中止させるより、この表現を変えてくれませんか?程度の番組介入でもよかったのではないかと思う。五月蝿いから放映しない、という態度では双方が楽をしている気がする。