前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

三日目 ーサンサン→ラツェ

konton2005-08-15

夜明け前出発、やはり石油臭い車内にまた例の声明テープが流れる。
 
あじぃげじぃごじぃがじぞぞぉぉ〜〜ぉ〜〜〜んんん 
それが終わらないうちに朝一でパンク。御利益ある声明じゃないのか!?



天気が悪くて夜が明けたのか判らない朝八時。全員降ろされて、軽くなったバスは町へ修理に戻る。乗客達はおもいおもいの速度で緩やかな長い下り道をトボトボと東へ歩く。冷たい雨が降ってくる・・・・・・・・・・。


気温8℃。


日本は今頃終戦記念日特集とかやってるのだろうなと思い巡らし、足をぬかるんだ道を東へ進める。


こんな時一人旅だと孤独を噛締めて痩せる思いなのだが、今回は仲間が居るので冗談飛ばしたりして落ち込まない。
Tさんは日本を出てから一年近いので、最近の流行など訊かれる。愉も自分も答えに唸ってしまう。あまりにも世間からズレてるので。
大柄なコリアン君に「なんで俺ら歩いてる?」と訊かれる。「寒いから」と答えたが、確かにこれでバス代400元払うのは悔しい。
4WDチャーターなら桁が違う出費だったので、バスに乗れてるだけラッキーなのかもしれないが。


桑桑(サンサン)で昼食。三人で二品を米飯で食う。うまひ。
コリアン四人と別れて食うのはテーブルの仕様。毛沢東ポスターと食堂によくあるフルーツのポスター。


終点が読めて安心したのか、ドライバーが饒舌になって客にマシンガントークを展開。この運転手は迷彩服に身を包み、早朝から夜までひとりで運転を続けて、故障の度に泥道にもぐって修理(一度ジャッキが外れてヒヤリ)。普通この距離は交代制じゃないのかと、過労死が心配。バスのローンでも残ってるのかな?バスが氾濫した川にハマった時は外へ飛び出し野糞。身を軽くしていた。←思い過ごしだ



夕方にラツェ着。ここはネパール国境へ行く南の路が分岐している要所。白人のツアー客がちらほら。彼ら向けのレストランもあり。まだ明日まで乗るのに約束の後金を請求され300元払う。
明日早朝こっそり置いて行かれるかと疑ってしまう。我々だけ別棟のトリプル30元の好い部屋に3人で泊まる。


回民食堂で麺8元。使用人のなかにウイグル系の少年が居た。
小さい町なのにサーカステントが開設中、少林寺ショーの宣伝カーが同じ繁華街を行ったり来たり。日没後に土砂降りの雨、関係者に同情してしまう。