前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

現実を受けとめられないこと

富岡町の居住制限区域へ初めて入った。半分片付け手伝いで、後半は地元の方のスタディツアーな内容。持参のロシア製線量計はアラームが三段階に設定を替えられる。0.3,0.6 ,1.2μSv/h。東京では高くて0.12 前回の楢葉町ではデフォルトの0.3でも時々鳴っていた。南相馬小高地区の海寄り0.3やや山寄りで0.5だった。今回降りた富岡町は地表から50cm上でも一桁上の2.5前後、隣接する帰宅困難区域に近寄ると車の中からでも3.0を軽く超える。控え目なアラーム音が鳴りっぱなし。車窓から最初に視たのは民家の庭に居たキツネだった、大きな黒いイノブタが親子連れで悠々と通り過ぎる。住めなくなった住居を荒らすネズミ、獣害と雨漏りによる室内の傷みが酷いと聞く。津波被害そのままでゆるやかに朽ちていく商店街とひしゃげた駅前に立つ。遠く海沿いにはヘルメットなのか太陽に銀色に反射する光と棒を持った人が距離を空けて歩いている、遺留品の捜索だろうか。


現地へ入るまではネットで画像を視たり避難を余儀なくされている方の話を又聞きで頭に入れているにも関わらず、目の前の光景がどうも現実のものと素直に受け入れられない、軽く錯乱した感情になった。これは被災ルポよりも若松丈太郎さんの現代詩の方がはるかに伝わるのかなとも。当事者の痛みをわかち合う事など到底無理だ、たとえ1000分の1でも。国の露骨な帰還推奨がこのまま進めば、除染効果が怪しくとも安全が保証できなくとも、やがて保証金が打ち切られる老人たちの多くは傷んだ自宅に帰るしかないのだろうか。町のインフラは?買い出しや通院はどうなるのか、選択肢なしの自己責任。これが自己責任な訳が無い。子育て中の夫婦や孫たちとは別れて暮らす事を否応なく選ばせられる。
(2014/01/01)記